【マイナーコンプレックスの投影】ふと思ったこと | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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ネットの中を波乗りしていてこう思った。


アメリカはダメだ、アメリカはダメだ、という人に限って、意外にも欧米人に弱い。

たとえば英語なりフランス語なり、とにかく日本語ではない、あるいはアジアの言葉でない言語で攻められたいすると、とたんにシュンとしてしまう。


あるいは、アメリカの偉い学者はこう言っていると、変なところでアメリカ信仰者になったりする。


その学者が、いかにアメリカで異端児であるかなどは関係がない。


最近はインターネットの発達で、ニューヨークタイムズやウォールストリートジャーナル、あるいはハフィントンポストなどのメディアから日本について書かれた文章をそのまま読むのは危険すぎる、あるいは朝日新聞アメリカ支局などと読み替えた方がよいことは、徐々に知られてきたと思う。


しかしながら、まだまだ欧米の名前にマイナーコンプレックスを感じる方が多そうだ。


アメリカの何とか大の教授がこう言っているのだと書いて、その教授の評価も考えずに引用したりすると、第三者から笑われたりする場合もあるだろう。




話は飛ぶが、STAP細胞で出てきたバカンティー氏もまた、ある方面では知る人ぞ知る有名人である。

ただし、有名人にもいろいろな意味があるが。

私と同年代で、多少生物などに興味がある人ならば覚えているかもしれない。


あの方もまた、ある意味では世界的に有名になった人だ。

へんな研究で有名になったのだが。





同様に、カンカラ空き缶には松坂牛が詰まっているという学者も、かなり少ないだろう。

あるアメリカの州立大の教授がカンカラ空き缶擁護をして、日本の学者から反論されたことがある。


だから、そうしたことを知っている人には、アメリカの学者がこう言っていると力説したりすると、その記事自体に疑問がつくだけでなく、その方の認識も疑われてしまう場合もあるだろう。



実は最近、あるところでそんな指摘をしている記事を見た。



ただし、そうした指摘をされた方に、家主が感謝をするかどうかはわからない。



早とちりの多い私も、同じようなことに十分気を付けなければと思った。