【雑感】成人の日に考える | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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成人の日。

私は麻雀をしていた気がする。


しばらくしてからだが、学生になってから住所変更していなかったため、簡易裁判所で何らかのお叱りを受けた記憶がある。


当時の私は、最低に近い人間だった。

いや、今でもけしていい人間ではないが、若いころよりはましかもしれない。


私の存在自体が悪である。

そんなことも言われたことがある。

そうだったかもしれないな。

自分を守るために嘘もついた。

いや、今も嘘をつくことがあるし、隠していることもたくさんある。


が、今の嘘や隠し事は、今の自分の基準で考えればさほど問題になるものではないし、他人に迷惑をかけないための方便だとの言い訳もできる内容ではある。


が、でも嘘つきであることは違わないが。


さて、ネタニヤフ氏とアッバス氏がそろってデモというニュースに驚いた今朝。


成人の日らしいので、思ったことを徒然してみよう(こんな動詞はなかったか?)。



二十歳前後。

私は、当時の頭では人生最大の悩みの中にあった。

悩むことが仕事のようなもので、ほとんど建設的な日々を送っていなかった。

もったいないことをしている。

が、そう思えるのは、そうした悩みの日々があったからだろう。


当時を考えると、反省すべきことばかりである。


自分の意見を言葉にできなかった。

自分をかばう嘘におぼれていた。

他人のことを考えられなかった。

自分の目で確認せずに、他のいうことを鵜呑みにしていた。

新聞やテレビでのニュースを、事実と思っていた。

教科書などにあることを、事実と考えていた。


自分中心の嘘以外で特に反省すべきことは、731部隊だの従軍慰安婦強制とかいう内容を鵜呑みにしてしまったことや、A級戦犯とかいわれる東条英機などに対して、嫌悪感を抱いていた時期があったことだろう。


同時に、非常に感謝していることもある。


それから社会人となってしばらくたつまでは、つまり生まれてから30年間くらいは、どうしようもない人間に会ったことがなかったことだ。


本当に恵まれた環境、いい人たちに守られてきたと思う。

その当時は、どれほど素晴らしい環境であり、どれほど優秀で優しく人間味ある方たちに守られてきたのかを自覚できずに、不満と不安、苦痛と苦難の日々であった。


少なくとも、自分の中では。


暗かったなあ。


でも、ある時知った。

世の中には、自分とは全く世界の異なる人もいるのだと。

それからは、私は自分の人生に感謝して生きられるようになった。


それでも、時々怒りは抑えられないこともある。


怒らないことがいいことなのか、怒らずに一層悪い状態になるであろうことを静観すべきか迷うことも、いまだにあるが。





若者たちに言いたい。


とにかく、自分の目で見て自分の頭で考えろと。


なんか、まとまらなくなってしまった。




フランスの事件。

まだ私の頭の中では、どういう事件なのかが整理がつかない。

だから、意見を書きたいが、まだ書けないでいる。



しかし、ネタニヤフ氏とアッバス氏の揃い踏みには驚いた。

それだけは書いておこう。



それから、このブログにもおそらく不正確な情報や、誤った記事もある。

ただし、できるだけ根拠のないデタラメ記事は書かないようにはしているつもりだ。


少なくとも、一部の政治家や新聞、テレビ番組のような嘘や、風評被害を増長させる記事、自分だけ守るための記事は書いていないつもりである。