前回述べたように、1894年の日清戦争で勝った日本の要求で、朝鮮は清から独立したことになりました。
しかしながら、おそらく半島歴史上初めて独立国になったこともあり、国内はガタガタで、朝鮮王が国民を捨てて外国大使館で生活したり、王妃が種々の暗殺に直接からんだりと、ほとんど国としての体裁を整えられなかった。
やがて朝鮮王は日本に保護を求めてくる。
しかしながら、一部の学者たちは朝鮮王の印璽などは偽物だとして、この証書を否定するか教えない。
事実、日本の歴史教育でもこの点は消えている気がする。
では、ざっとこのあたりを見てみよう。
1894年
王妃の刺客により、開明派の金玉均が暗殺される。
1895年
清からロシアに寝返った王妃が暗殺される。
1896年
朝鮮王・高宗が、国民を捨ててロシア領事館で1年間過ごす(王の権威・信用失墜)。
1897年
半島歴史上初かもしれない、独立国(大韓帝国)成立。
ただし、実際は日本の保護・影響下にあったようだ。
1905年
正式に日本の保護国となる(一部歴史学者は、証拠となる書類を偽物と否定している)。
1909年
朝鮮併合には反対派といわれる伊藤博文が、朝鮮貴族に暗殺される。
このため、併合反対の中心人物がいなくなり、一気に併合の動きへ。
1910年
日韓併合
★ポイントをまとめますと、日本が朝鮮半島にやってきて平等な社会を広めようとしたため、それまで持っていた権利をはく奪された貴族たちは、反日団体を作ります。
この反日テロ貴族集団の一人に、朝鮮半島併合に反対だったとされる伊藤博文は暗殺されてしまいます。
つまり、貴族テロリストによる伊藤暗殺は、結果的に韓国併合の後押しをしました。
★李氏朝鮮時代の人種差別、職業差別、身障者差別は、世界でも屈指のものでしょう。
アメリカの黒人奴隷真っ青な内容です。
Wikipediaでさえも、その概要は載っています。
とにかく、一部の人間を人間として扱っていません。
動物以下の扱いです。
これは、民族問題が深くかかわっており、新羅、百済、加羅、タンラ(済州島)の地域と先祖が深くかかわっていると思われます。
後日記事にするかもしれませんが、戦後の朝鮮半島南部(現在の韓国)で起こった、数十万人または100万人を超えるとされる国内での民族虐殺の多くは(朝鮮戦争ではなく、同国人同士の虐殺)、百済国内やその国境付近、並びにタンラ国に集中しています。
このあたりに関しては、韓国の教科書には一切載っていなかった気がします。
ですから、おそらく若い人たちなどや、マスコミや雑誌の言う歴史しか見ていない人たちには、戦後の虐殺と言われても、何のことかピンとこない人がいるかもしれませんね。
池上さんのコーナーでも、まだこのあたりにはほとんど触れていないと思います。
ただ、このあたりの歴史に触れないと、在日の方々の誤解を解くことはできないでしょう。