【歴史に学ぶ】4;李氏朝鮮の歴史前半:簡略版 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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これは、このブログを見てくださっている在日韓国人や、日本語のわかる韓国人、朝鮮人の方々への記事のようなものです。

あるいは、戦後教育で変な歴史や歴史ドラマを事実と考えている方々に読んでもらいたいものです。


というのは、最終的に日本への強制移住という誤解を解いてほしいための前段階です。


確かに、ごく一部の方々は戦争時に本人の意思に無関係に日本に連れてこられた方もいるでしょう。

しかし、それはごくごく一部の方々です。

大半は、自ら日本にやってきた方々か、朝鮮半島から密入国してきた方々であるということを理解してほしいのです。


そのためには、まずファンタジードラマで語られるユートピアである李氏朝鮮時代から話さないといけません。



このあたりは、以前年表でまとめてはいますが、今回はポイントのみ記述していきます。





★李氏朝鮮史概要


1392年 女真族(満州族)といわれる李成桂が、恭譲王一族を殺害し、自ら高麗王となのる。


1393年 明の洪武帝から権知高麗国事(明の配下にある高麗国の王代理)の位をもらう。

       洪武帝から国名を変えるように命じられ、国名を朝鮮とする。


1398年~王子同士の殺戮が繰り返される。

       同時に、仏教弾圧が始まる。


1401年 王子の中で生き残った太宗の時、正式に明の属国となることと、朝鮮国王の名前の使用を

      許される。


1419年 主力兵士の不在を知り対馬に上陸し、多くの住民を虐殺。

      ただし途中から留守を守る兵士に完敗し、逃げ帰る。


1430年ごろ~ ハングルを発明するが、高官の大反対にあい官僚には全く普及せず。


1504年~ ハングル使用者を処刑するなどハングル弾圧が強化される。


1506年 法律で公式にハングル使用を禁止する。






ここでのポイントは、李氏朝鮮は満州族王朝の可能性が高いということです。


また、ハングルを禁止したのは日本人ではありません。

韓国の貴族である両班です。

また、韓国で戦争に勝ったとされている対馬の件は、戦争ではありません。

兵士の留守を狙った、民間人虐殺です。


韓国の教科書では、このあたりは教えていないと思いました。