酒々井は、まだ広報室に行ったままである。
実験室は、ピンクの壁になった。
マウスやラビットを使うこともある実験の場において、残光現象を考えればあり得ない配色である。
さらに、白衣を割烹着にしてしまった。微妙な実験を行う実験室でペットを飼うなど問題外。
強酸・強塩基を使う実験室ではマンガチックなことだったが、マスコミにも顔が広い天野などの力もあって、その異常さは報道されず、むしろ親近感を抱かせるような報道となった。
宇宙飛行士が消防服や法被姿だったなら違和感を覚えるであろう大衆も、この本当なら抱腹絶倒に近い割烹着姿の研究者に、ひどい違和感を抱くことはほとんどなかったのだった。
1億総白痴化政策の成果が、ここでも発揮された。
そういう意味では、酒々井の読みはあたっていた。
あの日までは。
そう、ディメンジョン8の記事が出るまでは。
ディメンジョン8の指摘は明確だった。
イントロの99%が、その写真を含めてスイス製薬会社のホームページならびに、ハバネロ氏のいとこの医院の社内報のコピーであること。
電気泳動写真の大半が、切り貼りをしたものであること。
テロメア関連写真、テラトーマ関連写真の半数が馬韓田大学時代の学位論文と一致することなどを、ひとつひとつ証拠写真や過去論文を明示して記事にした。
さらに、緒方論文に関しては、馬韓田大学の学位論文の粗末さ(ほとんど論文になっておらず、統一性のない塗り絵・スクラップブックレベル)もまた明らかにしてしまったからである。
後に信玄大学の鷲山は、これを見て「終わった」と思ったと答えている。
さらにナチュレに掲載された論文に関しては、世界的に知られる免疫学者からも半ば馬鹿にした記事が投稿された。
万が一論文にあるような電気泳動パターンの形質をもつマウスがいたなら、それは寿命が伸びるどころか、生存できるかどうかさえあやしい。
この研究者は、テロメアばかり気を使ったため、そうした矛盾に気付かない素人研究者だろう。
多少免疫学を学んでいた者なら、一目見ただけで分かることだ、と。
一方、東大生化研の谷川のところには、ドイツのノーベル賞学者からこんな電話があった。
「これは、世界三大捏造事件の筆頭に挙げられるようになる、歴史的な論文だね。ハッハッハ……」