夕方、5時過ぎのことだ。
珍しくNHKを見たら、五木寛之が映っている。
途中から、ひどく感動しました。
私は彼の言いたいことの、1割さえ理解できなかったかもしれません。
しかし、NHKの相方さんは1%さえ理解できていなかったのではないのだろうか?
そう感じてしまいました。
彼は、本当のことの1%も書いていないと言っていた。本当につらいことは、みな胸にしまって書けませんよとも言っていた。
親鸞と自分は全く違うが、考え方に救われたとも言っていた。
一瞬、彼の右目が湿り気ある光を放った。
が、NHK担当者さん。若いからかな。
ずっと、親鸞とダブると視聴者のコメントを交えて、ダメおしをした。
五木さんは、いや全く違うんですがねえ、と笑ってみせる。
話しても仕方がないと考えたのだろうか。
実に、いい番組を見た。
確かに、満州からの引き揚げ者も多くは語らなかった。
五木さんのおっしゃっているように、
「いろいろありましたよ」
そんな感じだった。
それは、共産軍から逃げられた漢人もそうだったし、クメール・ルージュから逃げられたカンボジア人もそうだった。
38度線を越えてきた五木さんには、そうした方々と同じ臭いがする。
インタビューアーが、少し若すぎたのかな。
いや、それは違うだろう。
あの手の方々には、自らの体験を雄弁に語れないことがあるのだろう。
それは、五木さん自身もおっしゃっていた。
雄弁に語る人は、信用できるに足る話をしていない。他人の話をすり替えたりしている場合が多いと。
私も、なんとなくそんな気がする。
かつて、民主党が政権をとっていた時、今は亡き民主党の上の方にいた方が、言葉にしない会見をしたことがあった。
あれが、事実の声なき声、言葉なき会見だと思った。
五木さんの話を聞いていて、ついそんなことを思い出した。