マナスル
人間の記憶というものは不思議なもので、何十年か記憶の彼方に飛んで行っていたはずのものが、あることをきっかけに急に鮮明に記憶に上ってくることがある。
今回がそうだった。
このシリーズで、マナスルについて調べていた時のことだ。
マナスルは名前はよく知っているから、当然このシリーズには載せる予定だった。
そこでWikipediaで知識確認をしていた。
と、そこにこんな写真があった。
日本人などによる、世界初のマナスル登頂を記念して発行された切手だ。
ここで、ある場面を思い出した。
益子にある親戚の家に行った時である。
その郷の小学校は小山の上の城跡にあったのだが、その小山のすぐ下に慎ましやかな家があった。
散歩がてらにその家の前の道を通った時に、ここのおじさんはマナスルに登った人なのだと聞いたことを思い出したのだった。
その時、マナスルという名前とともにイメージしたのが、上記の切手だった。
と同時に、名前まで思い出した。実に不思議だ。
ずっと忘れていたことが、急に鮮明に記憶に上ってくる。
こんなこともあるんだなあ、と改めて記憶の不思議を実感した。
その記憶を頼りに、そのおじさんの名前をインターネットで調べてみる。
出身町が親戚と同じ町だ。間違いない。
その町は片田舎の芸術家町であり、初代受賞者を含め2万人くらいの町に2人の人間国宝を輩出し、また天才的変人おばあちゃんもいた。
このおばあちゃんは、お言葉をかけられた昭和天皇に向かって「どこの爺さんだ」と言ったとか言わないとか。
しかし、さすがに昭和天皇。怒るどころか、そのおばあちゃんに歌を賜っていらっしゃる。
周りのお偉いさんは、相当冷や冷やしたような話は聞いたが。
でもそのばあちゃんは、昔ならすごい賞であったろうドイツで開かれた第一回国際手工芸博覧会で
これは、当時の感覚だと五輪の金メダルどころではない。金メダルの中の金メダル。ダイヤモンドメダルに相当する。現在はヒトラーの価値観が逆転したから、マイナーな印象になるだろうが。
そんなおもしろい田舎町であるから、海外から帰った私は、一度はそこに住もうかと思ったほどだ。
余談が過ぎた。話を戻そう。
さて、そのおじさん。当時は、世界最年少8,000m級登頂者でもあったらしい。
そうしたこともあり、最近母校の、かの早稲田から顕彰とかを受けているようだ。
★データ
マナスル 標高8,163m
ネパール
日本人などによる初登頂峰

