【慶事記念】西の神と東の神 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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★お断り

 1、これは、パレスチナと日本に関係する話です。興味のない方はスルーした方がよいでしょう。

 2、日本神話並びに旧約の一部の比較です。

   ですから、日本神話の天照大御神とかニニギの命に関して名前さえ聞いたことがない人には、

   いささか分かりにくいかも知れません。

 3、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒の方にとっては基本中の基本、何度か聞いているで

あろう話が出てきますが、アブラハムやモーゼに関して名前さえ聞いたことがない方には難しい

でしょう。

 4、画像は、過去画像ばかりであり、季節にそぐわないものも出てきます。また、仏教的に見てしまうと

   誤解するものがあるかもしれません。仏教的な意味合いはありません。誤解なきように。


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まずは、西の神の復習からしていこう。


ユダヤの親であり、ムスリムの親であり、キリストの親でもあるアブラム(後のアブラハム)が故郷であるメソポタミアからパレスチナを目指して旅立ったのは、はるか昔のことだ。

アブラハムの最初の子が、召使であるエジプト生まれのハガルの子イシュマエル(神、聞き給う)だ。

イシュマエルは、イスラムの源である。

一方、超高齢出産となった正妻サラの子がイザアク(またはイサク;神、喜びを与え給う)だ。

このイザアクの双子の次男が、のちにイスラ・エル(神と掴み合い闘う)と名前を変えることになるヤコブ

(かかと;双子の兄のかかとをつかんで生まれてきたから)だ。


ヤコブがイザアク家を継ぐ過程は、日本人の感覚では理解できないだろう。

私は、いまだに納得ができない。また、何を言いたいのかも理解できない。

しかし、これに触れると話が別の方向に飛んでしまうので、割愛する。


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ヤコブの末っ子ヨゼフは、兄たちのいじめにあいエジプトの奴隷商人に売られてしまう。

(大国主の話に似ている)

しかし、最終的にファラオ(エジプト王)に仕えることとなり、やがて宰相にまでなった。


こうしてエジプトの地にユダヤ人があふれていくことになる。

最初のうちは、ユダヤ人たちはエジプト人に尊敬され裕福になっていった。


しかし、増えすぎた。また、金持ちになり過ぎた。

これを恐れたエジプト人は、ユダヤ人たちをすべて奴隷の身分にすることとしてしまう。




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そんな時代が、ずっとずっと続いた。


エジプトでは、ユダヤ人とは奴隷を意味するものであり、ユダヤ人もまたそうであることに

なんら疑問をいだかなくなった、はるかに時をくだった時代。

もうその頃は、ユダヤ人のほとんどが自分たちの先祖にエジプトの宰相になった者がいたことさえ

知らなかった時代。

やはり、ユダヤの民でありながらファラオの妹に育てられることになる、モーゼが現れる。

モーゼは本来ユダヤの子として生まれてすぐ殺されなければならない運命にあった。

が、姉ミリアムの知恵でファラオの妹のもとで育てられるようになる。

蛇足だが、このミリアムはマリアという音に近い。


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モーゼは、奴隷となっていたユダヤの民を率いてエジプトを脱出する。

これが、旧約聖書最大の行事;エクソダスであり、途中シナイ山で得た神との約束が十戒だ。

このエジプト脱出を祝う行事(ぺサハ)は、ユダヤ教最大最高最重要な祭りだ。

この祭りと、日本の最大の行事である正月の相似に関しては別シリーズで述べているので、

興味のある方は、見てほしい。寒気がするほど似たことがたくさんある。

(大晦日行事、年越しそば、神殿参拝、親族集合、餅、七草粥、神酒、どんど焼きなど)



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モーゼは、祖先から伝わる約束の地パレスチナを目指す。

が、その地に着いたところで天寿は尽きる。


モーゼの意志を受けついでパレスチナを治めようとしたのが、ヨシュアだ。

ヨシュアはユダヤにとっては戦いに優れ、パレスチナ住民を殲滅して、ついにパレスチナの地を

手に入れる。

パレスチナにはもともと原住民がいたが、ユダヤがこの地を治めることは≪神との約束≫であり、

当然のこととして語られている。

このヨシュアの戦い方に関しては、ユダヤの末であるキリスト教の牧師にもなかなか説明が難しい

と思われる部分が出てくる。が、これも話すと脇道に行って戻れなくなりそうだから割愛する。


とにかく、ユダヤの民は神の約束の地に住むことになる。

今の日本人の感覚では納得が難しいと思われるが、神の約束の地だから、前からすむ住民がいても

関係はない。神の約束があるから、住民を無視してそこに住んでも、これは当然のこととなる。

この≪神との契約があるから、そこに住むのは当然の権利であり義務でさえある≫という感覚を

理解しないと、この話は何が何だか分からなくなる。



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さて、今度は東の神、日本の神をみていこう。


今の大和地方を治めたのは、天照大御神の孫であるニニギから始まる。

ニニギの子が山幸彦、山幸彦の子が鵜茅葺不会尊。

その子が、初代天皇である神武(ただし、神武という名前はのちにつけられた)だ。

もう一度断っておくが、旧約にしろ日本にしろ神話をもとに話している。


このニニギが大和を治めるにあたって、以前から住んでいた人たちがいた。

これが、兄たちのいじめにあいながらも、最終的に大和の王となった大国主だ。



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大国主は、結果的にニニギに従って大和を天照の民に委譲する。


東の神であるニニギが大和を治めるのは≪神が命じた国であるから、ニニギが治めて当然≫なのである。


このあたりの理論が、西の神に従う民に同じだ。


神との約束、神が命じた場所は、先住民には無関係に治めることができる。


この考えは、今でも生きている気がする。


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つまり、西の神も東の神も同じような存在であり、同じような考えを持つ民がその地を治めていった。


この先住民たる大国主の末が、千家である。

神の命でおさめたとされる天照の末の枝が、高円宮家である。


神話の上では、けして結びつきそうにないふたつの枝。

いまそれが、初めて結びついた。


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遠く離れた、この辺りにも似たような話があるかもしれない。


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余談はさておき、とにかくいい話である。


おめでとうございます。



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