仮にどんな理由があろうと、私は一生犯人を許せないだろう。
私はブッダでもイエスでもない。
こちらから相手に手を出すことはなくても、自ら二回目の頬を殴られるために顔を差し出せるほどの人間ではない。
いや、ひょっとしたら自分が犯罪者となってでも、相手をやるかも知れない。
そんな事件だった。
日本の法律で納得できないのは、万が一こうした犯人が特定のわけあり人だった場合だ。
不起訴になる。
つまり、犯罪が無かったことになってしまう。
一方で、被害者に対してはマスコミなどの暴力を許してしまう。
逆だろうと言いたい。
今回の事件を耳にして、涌き出てきた言葉がある。
サカキバラ。
あいつは今、社会の中で暮らしている。
私には納得がいかない。
また、こんな言葉が浮かんできた。
通州
フォンニイ・フォンニャット
ハミ
タイビン
ハンギョレ襲撃
保導連盟
人権やら報道の自由を訴えている一部日本のマスコミは、これらを一切伝えない。
