【雑感】わたしの朝鮮人感 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

このブログを最近見られた方々は、おそらく私が朝鮮人をひどく毛嫌いしていると映るに違いない。

そこで、今回は私の朝鮮人に関しての思いなどをつらつらと綴ってみたい。


中には、朝鮮人という言葉を使っただけで既に差別だと感じられる方々もいることは承知している。

しかしながら、では何と呼ぶべきだろうか。

ツングース民族?エヴェンキ族、あるいはワイ族???

こうした名称はどうも一般的ではないでしょう。

また、韓国人とかいう呼び方もおかしい。なぜなら、親せきがいる朝鮮民主主義共和国(以下、北朝鮮とします)の人々は、では何と呼ぶのとなります。

ですから、あえてここは朝鮮人とさせていただきます。


昔からご存知の方は覚えているかもしれませんが、私と朝鮮人の方々には浅からぬつながりがあります。

現在私が、まだこの世でこんなブツブツを言っていられるのも、朝鮮人の方のおかげです。

私には記憶がないのですが、子供のころ命を救ってくれたのが、我が家を訪ねてきていた朝鮮人のおじいちゃんのおかげです。

その方の家はよくキノコ採りに行く山の、少しだけ開けたところにあって非常につつましい生活をしていました。

そこのおばあちゃんや、私のお姉さんくらいの年かさの娘さんには、ずいぶんやさしくしてもらった記憶があります。美人のお姉さんでした。


また、海外で独身時代に常連になった店のママさんには、手を取って食べ方から教えてもらいました。


盆・正月くらいしか会わない遠い親戚には、朝鮮にいた方もいました。

だから、私にとって朝鮮人の方自体は、嫌悪感どころかむしろ比較的近い存在でもありました。



しかしながら、現在の朝鮮人の印象はこれとは大きく異なります。

まず一番ひどいのは、日本以上に理解できない発想や報道をするマスコミでしょうか。

同時に、教育です。

あちらの歴史教科書の日本語訳を、さらりと読んだことがあります。


あれはひどい。

日本人に敵対心を起こさせる教科書でした。

自負心はわかりますが、あまりにも史実と異なることを記載もしています。

あんな教科書を学んでいたなら、とても日本と歴史の共通認識などできるはずがありません。


ですから、司法さえ情の法であり、法治国家でもありません。

ひどい差別差別を助長しているともいえるでしょう。


これは、日本の一部マスコミにも言えますがね。

たとえば、韓国との関係を最も悪化させているのが、表面上はその韓国をかばうような書き方をしている特定ねつ造常識インテリ勘違いマスコミだったりします。


しかし、あちらは見た目は日本以上にひどい。

史実を話したり、印象を述べたりすると、場合によっては明日息できなくなってしまう。

大学の教授が史実を述べたら、殴られ土下座させられた挙句、地位や財産を失う。


日本では考えられない常識がまかり通る世界。

さらに、つい最近までは自国民族虐殺の嵐。

かつ、ほんとについ最近まで、いやおそらく今でもしているであろう外貨獲得産業は全く見えないふり。


はっきり言って、今のあちらは病気にしか見えない。


とにかく、かかわらないこと。


このあたりが、一番大切だろう。

何度も言っているが、平昌冬季五輪には一切触れてはいけない。

慰安婦問題と同じことになる。


日本の特定マスコミも、中国共産党員や韓国軍の息のかかった人がいたならば、外すべきじゃないの?

特に公共放送と呼ばれるところに当事国以外の国籍のある人が勤務するという組織は、中東などの事実上他国の支配を受けている国を除いて、世界には例が無いのではないだろうか。

もし、いたなら。

1、2年前国会中継で、公共放送のトップはそうした人事データを把握していないと、寝ぼけたことを真面目顔で答えていたが。冗談もほどほどに。

まるで、パチンコがキャンブルと把握していないとする誰かみたいである。


もし国内マスコミに、中国共産党員や韓国国防省関連、あるいは在日組織関連の人がいたならば、日本国への愛国心を持てと言っても、それは無理な話である。


おそらく、日本を貶めるねつ造も正しいこととなるだろう。


だから、ねつ造はしても謝罪などしない。

これからも目いっぱいだまして、日本人の悪口を書きますとなるだろう。