所謂【魏志倭人伝】 その33 卑弥呼の死 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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卑弥呼が亡くなり、径100歩という大きな塚をつくった。

殉死するものは、奴婢100余人。

そこで男王をたてたが、国中が喪に服さず、お互いに殺し合いをし、合わせて1000余人が殺された。


さて、今日はわずか2行のこの記述部分だけだ。

しかし、ここもまた昔から論争が絶えないところだ。


径100歩といったなら、およそ80m位の墓だろうか。

方ではなく径とあることから、おそらく円墳だろう。

ところが、一部学者は奈良県にある箸墓古墳をこれだといっている。

箸墓は円墳ではなく前方後円墳だ。しかも、長さは280m位ある。

とすると、当時の人間の1歩は3m近いことになる。

これでは、倭人は身長5m以上の巨人となってしまうだろう。


卑弥呼の墓=箸墓を唱える人は、このあたりをどう考えているのか、さっぱり理解できない。

それよりはまだ、下野の壬生車塚古墳を卑弥呼の墓だと唱える説のほうが納得がいく。

壬生車塚古墳は直径82mの全国でも最大級の円墳で、国の指定史跡にもなっている。


また、卑弥呼が死んだのは前文からみて正始8年かそれ以降だから、西暦だと247年以降ということになる。

この西暦247年あたりにはこんな話がある。

ある天文学者の計算では、西暦247年及び248年に日本で皆既日食fが見られたというのだ。

この皆既日食こそが、天照大御神の岩戸隠れ伝承だというのだ。

さらに、この皆既日食により卑弥呼の権威が失墜し、卑弥呼は殺されたのだという説もある。

安本美典氏の計算では、当時の平均年齢などを考え架空天皇を削除して計算すると、天照大御神の時代と卑弥呼時代が合致するという話があった気もする。


天照大御神=卑弥呼説は、素戔嗚(スサノオ)や天之宇受女との関係と併せて考えると、楽しい空想世界が開けてくる。ただ、事実と考えるかどうかは別だろう。


また、国立天文台の話では、6世紀以前の皆既日食は地球の動きのブレなどがあるため計算では出せない可能性があるという記事を読んだ記憶もある。



★蛇足

下野の壬生車塚古墳は、私が最も壮大なSFと考えている『妖星伝』のスタートとなる場所である。

手塚治虫の『火の鳥』は壮大な漫画だが、『妖星伝』にはまだまだ及ばない。

また、この『妖星伝』をみて、スターウォーズを考えたのではないかとずっと昔から考えている。



なお、円墳の大きなものは埼玉県を中心とした関東に集中している。

私が邪馬台国の候補地と考えている北九州では、福岡県久留米市の権現塚古墳(墳丘径55m、外堀を含めると150m)がある。

近畿では、奈良県葛城の牧野(ばくや)古墳(径50m)くらいだろうか。


ただし、現在の考古学では円墳は比較的新しい古墳とされることが多いため、卑弥呼時代とは合致しないことになる。



さて、次回はこの魏志倭人伝シリーズ最終回である。