所謂【魏志倭人伝】その27 魏皇帝から卑弥呼への親書 2 金印紫綬 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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あなたの住んでいる処はははるかに遠いが、そこから遣いを派遣して貢献するとは、なかなかういやつであり、その忠孝は見上げたものである。


そうだ。ずいぶんと鼻が高いし見下している。

これは仕方がない。あちらの常識は、中原に住むもの以外は動物と同じだ。

北狄南蛮東夷西戎思想は今なお残っているのだから、この当時は常識だった。

そんな中で、むしろこの文は相当倭に気を使っている方だろうな。


いまここに、あなたを親魏倭王として承認し金印紫綬を与える。これを郡の太守に託すので、あなたは種人を安んじなだめて孝順せしめよ。


やはり差別的な言葉に思えるかもしれないが、じつはこの文章の言っていることはあちらの常識では考えられないことなんだ。

いいか、金印紫綬とあるな。こうした印は皇帝の親族にしか与えられない。

ふつうはかなりの王でも銀か銅、へたすると石板、粘土印のようなものさえあった。

その意味では、特例中の特例といってよいだろうさ。

いまその金印と思われる親魏倭王なる金印は見つかっていない、

そこで、邪馬台国の知られる前、漢の時代に奴国がやはり金印をもらっているから、これを見てみよう。

これもすごい。奴国なんざ、倭のごく一部。本来なら、辺境の蛮族の親分に金印はあり得ない。

だから、一部には偽物説もある。

ただし、あちらの歴史書にも、漢の光武帝の時に倭の奴国に金印を与えたとあるから、たぶん本物だろう。

それから、種人とは自国民族、他国民族いろいろなという意味だ。

倭王が朝鮮半島を管轄していた資料は5世紀にならないと出てこないが、当時からすでに朝鮮半島南部も管理していたのかもしれないな。

少なくとも現在の慶尚南道・プサン付近は、狗邪韓国として日本の飛び地だったし。



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取っ手のところが蛇になっている。

これは南方系民族に与えられるものとの説が有力だ。

魏よりは北ならば、つまみにラクダが使われる。

こうなったのは、当時の感覚では日本は相当南の方にある国だったからだろうな。


いずれにしても、東夷たる倭に金印が贈られることはすごいことだったんだよ。

今でこそ遠方外交とかいうが、当時は、いや今でも、中原は世界の中心だ。

と考えているだろう。


だから、遠方外交などというまどろっこしい考えをする必要はない。

そうした考えでこの金印の謎を論じている人もいるが、それはあまりにも現代的な、また日本的な考え方だろうさ。





つづく