さて、前回はどこまでだった?
その年の12月。
詔書で倭の女王に報じて曰く・・・・・・・。
そうかそうか。では先を急ごう。
その魏皇帝である明帝からの親書にはこうあった。
親魏倭王卑弥呼に勅を下す。
帯方郡の太守である劉夏が使いを遣わし、あなたの大夫難升米、次使都市牛利が送ってきて献じた、男生口四人と女生口六人、班布二匹二丈を奉り到来した。
うん?ああ、そうだ。当時は中原にある国の認証があると格好がついた。
この傾向は平安初期にまで続く。また、一時期室町時代にも中原の王から王をもらって箔がついたようにしていた。
この後の宋書あたりにはよく出てくるが、5世紀ごろの倭王は朝鮮半島と倭国を管轄する安東大将軍などの称号を得ている。
このあたりの歴史は義務教育ではあまり教えないようだ。
単に倭の五王記事で終わっている場合がほとんどだろう。
朝鮮半島は20世紀までのほとんどすべての期間は、大陸の国を宗主国とする属国であったが、5世紀から7世紀前後と、20世紀のごく短い期間は日本の管轄下か日本だったのだよ。
もちろん、あちらの教科書の歴史には出てこないが。
なお、少し後で出てくる高句麗とは満州系の民族。はたして、現在の民族と同一歴史の中で述べていいのかどうかは疑問だ。
が、まああちらでは朝鮮民族の誇り高い歴史のようだから、まっ、いいか。
あんまり細かいことを言うとアイゴーって言われそうだし。
生口とはそのままだと奴隷に近い意味だろうが、相当すぐれたものだったかもしれないな。
班布とは木綿布のこと。
1匹は4丈で、1丈は10尺のこと。
当時の1尺には諸説あるだろうが、とりあえず約23㎝としておく。
そうすると、2匹2丈ちょうど100尺になる。つまり、約23メートルになるだ。
この2匹2丈あたりにも、倭人の数字感覚の何かが光る。