女王国は、一大率という管理事務所を置いて、諸国の管理にあたっている。
国々はこれが怖くて仕方ない。
これのある場所は伊都国だ。
前にも説明したが、伊都国は糸島半島の南部だな。
ただ、その役目や歴史的なことを考えると、後の大宰府かもしれないな。
大宰府は九州の要。同時に大陸からの圧力を抑える参謀本部の置かれた所だし。
各国には刺史をおいた。
これは今なら、国から地方に派遣された官僚と考えていいだろう。
女王が京都や帯方郡、あるいは半島南部にあるたくさんの韓国諸国に行く場合や、逆に帯方郡から倭に入る場合などは、必ず津で臨検を受け、文書や移送品のチェックを受けなくてはならないし、それぞれを厳密に分類する必要がある。
まあ。出入国管理局のようなもんだな。
ちなみに、京都というのは日本の京都ではないぞ。魏国の都、洛陽だ。
当時の感覚では、いや今でもそうかもしれないが中原の中心。つまり世界の中心だな。
それから韓国諸国というのも注意が必要だ。
よくしられる百済や新羅、あるいは加羅や任那ではない。
当時は、まだ国と呼べるものがなかった。
あえて挙げるならば、それらの前身の多くの豪族連合体である、馬韓や辰韓、弁韓あたりのことだ。
朝鮮半島の大半は魏の郡だったが、南部の狭い地域に多数の豪族連合みたいものがあり、国になる準備期間中だったといってよい。
そうそう、津というのは呼子あたりかもしれないな。
海外との交流の最前線基地だ。
身分の低いものが身分の高いものと会った時には、相手を気遣って草の中に入る。
また、命令などを伝えるときには、うずくまったり跪いてたりする。
そして両手を地面につけるのだが、これは恭順を意味する。
相手に対しては「あい」というのだが、これは承知いたしましたという意味だ。
なんか参勤交代や、お白洲を思い浮かべる光景だわな。
★蛇足
最近歴史の学習を始めて、今まで教えられてきたことがずいぶんと違うことに気が付いてきた。
特に百済に関するイメージは、まったく違ったものになっている。
それは、上記の備考記述にあるように、漢人も何かを感じていたようである。
その理由が、近代史を学び始めてうっすらと見えてきた気がしている。
更に蛇足