【日本の歴史】古代文化史の問題点 ★百済観音 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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朝の記事で触れたように、『百済観音』には非常におかしな話が付加されている場合がある。

高句麗と百済の戦いに、倭が参戦したお礼だとかの類いである。
が、これは全く根拠がない。

だいたい、百済で制作したものかどうかは、さっぱり分かっていない。
かつ、いつ頃日本に渡ってきたのかさえ分からない。
ところが、約100年前に『百済観音』と名付けられてから話に尾ひれがつき、今やすっかり『百済観音』の名前が定着してしまった。
B-kudara.jpg
(いわゆる『百済観音』)
インターネットより

いかにも昔から法隆寺にあったかのような勘違いを招くが、この像が昔から法隆寺にあったらしい古文書は発見されてない。これだけの像に関して、全く記述が見つからないのだ。

やっとそれらしきものが出てくるのは、江戸時代である。1698年というから元禄時代花盛りの頃だ。
さらに、江戸中期の書物には、外国からのものという話も伝わるが詳細不明とある。
明治時代になると、『朝鮮風観音』という、今の名前に近いものがつけられる。
初めて『百済観音』なる名前を付けられたのは、なんと大正時代なのである。
ところが、最近ついて一般化してしまった『百済観音』の名前から、韓国では日本に文化を伝えた証と教科書に載せているらしい。
どこの制作か、あるいはどこから来たものなのか分からないのにである。

まるで、朝日新聞の記者が小説・日本軍従軍慰安婦を事実としてインチキ報道し、それがあちらの【事実】として現社民党の元トップ女性議員などが中心になり粉飾拡大し、今や日本でさえ【事実】として教えられていることに似ている。
確認作業すらせずに、慰安婦の誤った内容を世界に流してしまい、それを口実に金をカツアゲされている河野談話に通ずるものがある。
あるいは、南京大虐殺小説を事実として宣伝し、日本と日本人にあらぬ濡れ衣を着せられることになる、現社民党・民主党と朝日新聞の合作作業を見るようである。

漢人の書いた歴史書『宗書』などを見れば分かるが、5世紀から7世紀あたりまで百済は日本の従属下、または保護国である。
さらに、明治に日本人が教えるまでは、半島では車輪や桶ひとつ作れなかった場所である。

なんで、日本に文化を伝えられますかいな。

じゃあ、なんで本国であるあちらの南部、当時の百済だったあたりに、なぜ百済観音並みの像が全くないのですかいな。
絵画でさえ、なぜないのですかいな。
ファンタジー歴史ドラマやファンタジー絵画ではなく、実際の記録や写真には、なぜ一般人どころか政府高官まで、染めた服を来ている絵や写真がないのでしょうや。

高句麗あたりにある絵画は、百済や新羅とは関係がありません。あれは、漢人や満州人(高句麗人)の制作です。

現在『百済観音』と呼ばれるものは、百済由来ではない可能性が非常に高いのです。


嘘も百回言えば事実になる。
まさに、それを見るようです。
また、それを悪と見るのは、健全な日本人などかなり少ないと私は思っています。

悲しいかな、これが現実です。

『百済観音』に、『嘘も百回言えば事実になる』の分かりやすい実例を見ることができます。