・三國志 魏志 巻三十 東夷伝・倭人条
(いわゆる『魏志倭人伝』)
※参考文献; 岩波文庫 魏志倭人倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 石原道博 編訳
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南の投馬国。ここに行くのは船で20日だ。
トップは弥弥、副は弥弥那利。ここは大きいぞ。5万戸あまりの家がある。
さて、南の邪馬台国、ここは女王の住んでいるところだが、船で10日・陸路を1ヶ月だな。
トップは伊支馬、副が弥馬升、三番手は弥馬獲支、四番手は奴佳テイで、7万戸くらいある。
さあ、女王のいる邪馬台国に着いた。
今日はここまで。
はっ?
なんだと。あっさりし過ぎてて、さっぱりわからない?
今までみたいに、里程を教えろ?
ちっ。気付いちまったのか。サラッ流してごまかそうとしたのに。
嫌なあたりに気付いてくれるなあ。
実はな、「邪馬台国の位置は分からない」が正しい。
普通に順番で読んでいくと、投馬国は不弥国から南へ20日だから、おそらく薩摩あたりになる。
さらに、邪馬台国へは船で10日、陸路を1ヶ月となったら、沖縄か台湾あたりになってしまう。
実はな、このずっと後に出てくるが、倭は福建省の東だろうとしている。
福建省というのは、香港の少し北にある省。地図を見れば分かるが、福建省の東に台湾がある。
ということで、邪馬台国は沖縄だとか、台湾だという人もいる。
確か、漢文を順次読んでいったなら、少なくとも九州内には留まらない。
ここが、昔からの謎だった。
では、本文から脇道に入るが、そのあたりを簡単に見ていくかい。
それは、次回だな。