三國志 魏志 巻三十
東夷伝・倭人条
(いわゆる『魏志倭人伝』)
※参考文献
岩波文庫
魏志倭人倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝
石原道博 編訳
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最初に述べた帯方郡から倭に行くにはな、半島の海岸に沿って船で渡っていく。
韓国を経て、あっ、この韓国というのは今の韓国とはちと違う。今の韓国の南の方にあった馬韓という郷あたりで、のちの百済とだいたい似たあたりにあった。
ここを海岸線にそって南へ行き、さらに東へと船を進めると、倭の半島飛び地である狗邪韓国に着く。この狗邪韓国というのは、加羅とか金海とか呼ばれて任那と呼ばれるようになるとこだわな。 だいたい釜山あたりと考えていいぞ。
ここまで、帯方郡から7000里余りだ。
おっと、勘違いするなよ。当時の1里は、今の約4kmとは全く違うぞ。およそ80mくらいだろう。
だから、帯方郡から朝鮮半島南東の日本の飛び地まで、7000里≒550kmと言っているわけだ。
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はあ。やっと三行半だ。
いけない、これは誤解を招く表現だわな。
もとい。
やっと、3行と半分くらい終わった。
2回で3行ちょっとだと、100回シリーズになってしまう。次回から少し、はしょろうぞ。