日本では古文書や地方の伝承などにしか残らず、現在は事実上なくなってしまった職業に、【泣き女】というものがある。
これは主に葬儀などの際に、死者への餞として涙を送るものであり、現在でも世界の何ヵ国かには残っている。
いかに多くの泣き女を集められるか、いかに大泣きするかで遺族の価値が決まったりする。
かつてお大尽の葬儀と思われるもので、100人近い泣き女を伴ったものを見たことがある。その際は、その大行列の為に、大通りの交通さえ規制されていた。
この泣き女は職業であると同時に、とにかく形だけでも慟哭するという文化や儒教などとも深く関わっている場合もあるだろう。
例えば、少女の像の前で大声を張り上げ、体を揺すりながら悲しみの表現をする。修学旅行で来た高校生の前で、倒れんばかりに泣く。
あるいは、政治的に問題があった場合には、全身を使って反省した素振りを見せる。
こうした行為は、私などには奇異に感じられてしまう。
しかしながら、それを良しとする文化のようなものも存在していることは確かだ。
そんな社会の一部では、相手を土下座させることで、自分が人間的にも優位に立ったかのような錯覚を持ってしまう方も少なくないようであり、何かと相手に土下座を要求する場合が多い。
比較的最近も、北海道でそんな事件があった。
西宮の議員の会見を見て、ふと昔見た泣き女を思い出した。
同時に、何ら罪もないのに、土下座させられるか頭を下げさせられる高校生の姿を想像した。