マヤ神話に関しては、馴染みがない方が多いと思います。
マヤも多神教であり、多々の神々の名前が出てきます。しかしながら、その名前を書いてもピンと来ないと思われますから、一部神々の名前を簡略化したり省略します。
★神を称えられないものたちの行く末
・創造主は、多くの生き物を造っていった。
・しかし、鹿も鳥もピューマも蛇も、創造主を称える言葉をしゃべれず、ただ唸ったり鳴いたりするだけだった。
・怒った創造主は、そうした獣や鳥たちに、食べられてしまう運命を与えた。
→新約・ヨハネ福音の「はじめに言葉ありき」に似る。ただし、この日本語が福音の意図した内容を網羅しているかは疑問。ヨハネ福音写本は見たことがないが、仮に旧約同様ヘブライ語やアラム語ならば、「言葉」には複数の意味と暗示を併せ持たすはずだからだ。
★さらなる生き物の行く末
・創造主は今度は、粘土から人に似た生き物を造った。
・初めは言葉らしいものを話していたが、水に入れると溶けてしまった。
・創造主は、自らこれを壊してしまった。
→旧約の最初の人間(アダム)の話に似る。
→古事記の蛭子にも似る。
★次の人間もまた同じ行く末
・創造主は、こんどは木で人間を造った。
・やっと言葉を話せる生き物だったが、知恵はなく創造主を称えることもしなかった。
・そこで創造主は洪水を起こさせ、この生き物もまた破滅させた。
→旧約・ノアの洪水に似る。
→ギリシャ神話の洪水話にも、少しだけ似る。
★うぬぼれ者の行く末
・自分は太陽であり月だと自慢する生き物がいた。
・あまりの自分勝手に対し、2人の若者が神の意思にしたがって戦う。
・うぬぼれ者は、すべての力や財宝を失ってしまう。
→ギリシャ神話・イカロスに似る。
→古事記・須佐之男の科(とが)による高天ヶ原追放にも似る。
★山(自然)を崩す者の行く末
・怪力で毎日山を崩したりしている者がいた。
・平和の神に従ってた若者は、この怪力男を騙して滅ぼしてしまう。
→古事記の須佐之男の田の溝埋め、機織り女殺害による財産没収、爪はがし、高天ヶ原追放にも似る。