【記憶】ハイジンとしてのしま爺 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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新しく発足した、原子力なんとかという機関に関する報道で、見覚えのある名前があった。

とは言ってもお会いしたことも、遠くから拝見したこともない。

とにかくその方は、今話題の万能細胞研究所の理事長やら文部大臣やらをされていたお方だから、接点などありようがない。


が、ひとつだけ思い当たることがあった。

その方は、原子力なんとかのトップになるような世界的物理学者であると同時に、ハイジンでもあったのだ。

ハイジンとは言っても、私のような廃人ではなく、俳人である。


その昔。日本に帰ってから、しばらくの間、塾の講師をしながら投稿マニアをしていたことがあった。
タバコ代稼ぎのためである。
とにかく、いろいろな分野にチャレンジしたが、その中に出雲大社への献句というものがあった。

早速投稿したら、とりあえず佳作だかなんだか入選。
千葉県では、確か入選が1人か2人だったので、これは素直に嬉しかった。 また、専門外での入選は自信にもなった。
現在は艶歌専門ではあるが、当時は多少高尚そうに見える歌や句も作れたのである(笑)。


その時の選者が、有馬さんだった。


原子力なんとか機関の発足話にひっかけた、ジジイのカビの生えた自慢話である。


こりゃ、食えねえな。




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