特にD2系統と呼ばれるものは、日本人特有の遺伝子グループであることや、最も遺伝子的に近いのはブータンやチベット高地に住むチベット族であることも述べました。
さて、こうしたY染色体の変化の具合から、現在の科学を使えば、日本人がいつ頃他の民族と分かれたのか、またどんなルートでアフリカからアジアの端までやって来たかが、だいたい分かるようになってきました。

(カタクリ)
繰り返しますが、日本人はアフリカから移動した主要3民族すべてが混血しています。
さらに、詳しい話は省略しますが、非常に奇妙な遺伝子を持っています。
このあたりは専門用語を使わないと正確には伝わりませんが、そうするとほとんどの方は理解できなくなると思います。
そこで、日本人の持つ遺伝子の奇妙さをたとえ話で説明します。
学校の先生というのは、生徒を教えテストを出したりします。
ところが、その先生が自分も生徒になって、一緒に試験勉強をはじめ、いつの間にか生徒になっていた。
この日本人特有の遺伝子の奇妙さは、こんな感じです。
つまり、普通なら指導係だけをして、実際に体には影響を与えることのないものが、一緒になって働く遺伝子になってしまった。
そんなところです。
なぜこんな奇妙なことが生じたのかは、まだわからないようです。
さて、ではこの奇妙な遺伝子ができた最初の男、つまり日本人の祖先と言ってよい男はいつできたのでしょうか。
崎谷氏によれば、1万2千年~1万5千年くらい昔だろうというのです。
アフリカ東部・ソマリアあたりから世界へ広がった3系統を、それぞれC,D,Oとします。
Cは北方系。
Dは、日本とチベット付近にだけのこった特殊な系列。
Oは、Dとほぼ同じルートで来た大陸系で、中国本土や朝鮮半島ではD系を絶滅させてしまったと思われる系統です。
それぞれが日本へ来たルートは、現在のインド東部からインドシナあたりまでは、だいたい同じでした。
Cはそのまま北上し、バイカル湖付近中心に生活をし、一部が東進して樺太から日本に入ってきます。
DとOは、海岸沿いを伝わって北上し、ともに日本へは朝鮮半島か台湾を琉球列島に沿って日本にたどり着きました。
ここで不思議なことがおきます。
ほとんどの地域では、O系列がD系列を殲滅させてしまうのですが、日本ではなぜか3系統が全面戦争するようなことをすることなく、混血していきます。

こうして、アフリカ脱出3系統が日本で合体し、DNA的には世界で類をみない民族ができたわけです。
なお、D系統の割合が極めて多い日本とチベットは、一番の親戚といえそうです。
しかし、D系統と言っても日本人の場合はD2系統がほとんどで、他地方には皆無に近い割合です。
また、日本人にはD1やD3は非常に少なく1%未満なのに対し、チベット族はD1が16%、D3が33%と、細かいところでの遺伝子には違いがあります。
なお、イー族やミャオ族に10%前後見られるD系統はD1です。北方ホイ族やモンゴル族にわずかに見られるのは、D3です。
上記移動ルートは、ミトコンドリアDNA調査結果でも、だいたい同じようです。
なお、朝鮮半島経由と書きましたが、これは1万年以上昔の話であり、現在の朝鮮人とは全く関係がありません。
私たち日本人の祖先は狭い国土の中で、先住民を全滅させることなく種々の民族が融合して、日本人という種族を作っていきました。
これは世界に類のない、素晴らしいことだと思います。
★参考文献
昭和堂 崎谷満著
『DNAでたどる日本人10万年の旅』
ISBN978-4-8122-0753-6

日本人と似たDNAを持つチベット族(ブータン国王夫妻)