【幻想】日本人の誕生 その9(弥生人の渡来③華南人考) | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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弥生人が日本にやって来たとされる、紀元前3世紀。
徐福など漢人ではなさそうだ。
朝鮮半島のワイ族などでもなさそうだ。
では、一体どこから?

私の考えでは、これは華南から来たのではないかと思うのです。
現在の華中・華南地方は漢人が大半を占めていますが、かつては少し違った民族が住んでおり、漢人、特に秦の隆盛により、山岳部などへ移っていった民族があります。

その代表がミャオ(タイではメオ、ベトナムではモン)と呼ばれている民族です。
かつては、揚子江を中心としたあたりに住んでいましたが、徐々に南へ、山岳部へと追いやられていったようです。

ミャオは中国に1000万人近く住んでいますから、ほとんど東京都の人口くらいいます。


かつて、タイ北部にはゴールデントライアングルと呼ばれる、アメリカさえ手の出せない地域がありました。
若い頃、銃を持つガードマン数人と共にミャオ(メオ)族の村を訪ねたことがあります。
いやあ、驚きました。
ほとんど観光客などが来なかった当時の村の雰囲気は、私の子ども時代の田舎を思い出させるものでした。
衣服はかなり派手ですが、みな日本人に見えてしまったのです。
なんとも不思議な体験でした。
昨日アップした藤原紀香そっくりのお嬢さんも、ミャオ族です。

写真で見ると、中国のミャオはずいぶん派手です。
おそらくこれは、10月祭りか年越し祭りの時の衣装だからでしょう。

インターネットから少し写真を持ってきてみます。

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頭の帽子は角隠しにも似ています。
また、ミャオには八百万の神々がいます。祭りは自由恋愛の時でもあり、山に登って歌垣に集う習慣は、古代日本の風習にダブります。
兄と妹が結婚して子孫を生み民族の祖となったという神話も、日本神話に同じです。
また、祭りや結婚式にはもち米をふかし餅を作り、色付けして食べます。
これは、祝い事に餅や赤飯を炊く日本の風習と同じです。

驚くことはこれだけではありません。
納豆を作り、発酵すしを食べます。 さらに、なんと蕎麦も作ります。

お正月には餅、飯、豚で酒を飲みます。

顔だちや体型だけでなく、風習まで似ています。

彼らの伝説上の祖先神が神農であり、テレビで見た収穫の際に氏神様を祭るやり方は、私が子どもの時にみた新米を氏神様に祀るのに非常に似ていて、たいへん驚いたことがあります。
敷居に対する態度など、やはり日本に似ています。

私は、このミャオ族が秦からの南下の際に琉球列島を伝わり北上してきたのが、弥生人ではないかと考えています。




なお、ミャオ族と似た民族にチワン族があります。
チワン族も日本人に非常に似ていて、やはり祝い事の時の赤飯のような色を付けた風習や歌垣の風習があります。
また、高床式の家に住み、来客を歓迎する風習が残っています。

チワン族に関しても、インターネットから画像をお借りしてみます。



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どうですか?

神々や風習。
顔形。もう日本人に似ているでしょ。

というか、日本人とどこが違っているか分からない。
あっ、ひとつだけ大きな違いがあります。
概して、美少女が多いです。


★おまけ

チワン族のモデルさん
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