義務教育では、弥生文化は弥生式土器の発達した紀元前3世紀頃から紀元後3世紀頃となっています。
さらに、弥生時代に稲作が始まったと覚えさせられました。
が、今ではこの説はあやしくなっています。というのは、約6000年前の地層から大量に米の化石が発見されたりしたからです。
今まで弥生時代と考えていた時代は、単に技術が発達し稲作が広まった時代であり、民族自体はほとんど変化をしていなかった可能性もあります。
一方、顔などの骨格がかなり違った化石も見つかっているのは確かであり、そうすると紀元前3世紀あたりに、なんらかの大きな民族の渡来があったとも考えられます。
紀元前3世紀というと、現在の中国の半分くらいの地域が、初めて1つの国になった時期に一致します。
義務教育では秦の始皇帝と覚えさせられる、政が活躍していた時期です。
この時代は恐怖政治の時代で、数百人を首だけ出して生き埋めにしたとか、反政府的書物をすべて焼き払ったとか、側近でも明日の命を心配したとか、種々の記述がある時代です。
こうした政を、逆に手玉にとった人間が1人います。
徐福というのですが、徐福は政をからかい、金銀財宝や美男美女とともに日本にやって来たという説話があります。
また、朝鮮には、徐福が崇神天皇(架空ではない、初代天皇のような存在)になったという話も伝わっているようです。
実際私も、タイに逃げた漢人から、この話を聞いたことがあります。
では、この徐福と美男美女たちが、弥生人でしょうか?
非常に楽しい説です。
また、日本にも何ヵ所か徐福渡来地伝説があります。
しかし、残念ながら、可能性はあまり高くありません。
なぜなら、漢人と日本人のDNAはあまりに違っているからです。
でも、私は気に入っている伝説のひとつです。
事実ではない可能性が大ですがね。
なお、七福神伝説と徐福を結びつける伝説もあります。

(シラユキゲシ)
千葉では、もう咲き始めました。