さて、そのポリネシアンについて、あと少し詳しく見てみましょう。
かつて、トール・ヘイダールというノルウェーの冒険家がいて、南米ペルーから筏(いかだ)でポリネシアの中程にあるツアモツ島までの約8000キロメートルの航海に成功したことがあります。
このため、かつてはポリネシアンは南米から移り住んだと考えられていました。
しかし現在では、アジアから南下して、東の島々に移り住んだと考えられています。
かつては、オーストラリアとニューギニアは陸続きであり、その東にあるソロモン諸島や、フィジー、トンガあたりとも比較的陸が近くまであったようです。
このあたりをムー大陸だとすれば、伝説も少しは真実味があります。しかし、どう考えても、タヒチやイースターまでの陸地は無理でしょう。
また、イースターの伝説に、西の島からやってきたというものがあり、アジア方面から航海してきたのであり南アメリカ大陸からではないのです。
最近の有力な説では、台湾にいたモンゴロイド系民族が、紀元前2500年頃に南へ移動し、フィリピン、インドネシア・スラウェシ島を経て東の島々に移り住んだのがポリネシアンということになっています。
このポリネシアンの航行能力からして、南アメリカへ移動できる能力もあったでしょう。
事実、ヨーロッパで新大陸発見と喜んでいるよりはるかに昔に、ポリネシアンが南アメリカ大陸を知っていた可能性が大変高いのです。
というのは、サツマイモは南米原産で、ヨーロッパ人がサツマイモを食べたのは16世紀あたりからですが、ポリネシアの人々はヨーロッパ人がポリネシアの島々に到着する前から、サツマイモを食べていたからです。また、南米と共通する神もありました。
余談になりますが、これで分かるように、
『1492年新大陸発見』
という歴史感は、ヨーロッパ人中心の歴史でしかありません。
だいたい、モンゴロイドが住んでいたわけですから、発見ではありません。
バイキングだってずっと昔、北米に渡っていましたし。
なお、台湾から北上した一族が日本の新しい縄文人となり、もともと日本にいた北方系民族を押しやったか、混血していったと思われます。
この考えでいきますと、台湾あたりが、縄文人の祖先となり、日本人とポリネシア人とは遠い親戚ともいえます。

さらに飛躍した考えをすれば、三國志などに出てくる『倭』とは、この台湾系民族である縄文人の国であり、直接の現在の我々に近い弥生人の国ではなかったかもしれません。
弥生文化の代表として、かつては稲作が知られていました。が、これは今は否定されつつあります。
縄文土器の底に、米粒の化石などが見つかるからです。
つまり、縄文土器から弥生土器への変化は、民族が変わったのではなく、単に技術が進歩しただけであるとも考えられるのです。
そう考えれば、3世紀にまだ縄文人の国があっても不思議ではありません。
刺青の風習などは、台湾の原住民風俗に似ています。
また、出雲王国の国譲りの話は、比較的近い過去の事象にも見えます。
さらに、出雲系は海洋民族的でもあります。
とすれば、出雲・大国主までは、縄文人が日本に王国を作っていた。
そう考えることができるわけです。
