だれかが失敗しても、それが悪意からではなく、うっかりの結果であれば、しかたないねと許す。
逆に心の中はどうあれ失敗は失敗と、責める態度もあり得る。
そこで、こう思った。
ならば、最初から計画して、相手を泥沼に突き落とした場合は、どうなのだろうかと。
さらに、突き落とした方が、人を大切にしましょうなどと言い、突き落とした時に跳ねた泥のクリーニング代を、落とされた人に請求するのはどう考えているのだろうかと。
かつて、ある作家が小説を書いた。
ある新聞社がそれを、事実と報道した。
それを見た、小説の主人公が騒ぎ出す。
作家は小説だと言明したにもかかわらず、新聞社は今なお『事実』扱いであり、お隣があちこちで騒いだから、今や小説が世界の歴史になりつつある。
こうした状況を、『天声人語』はどう書くのだろうか。
ふと、そう思った。
