【記憶】歴史 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私の人生で消して忘れぬこと、また忘れてはいけないことは、東日本を襲った大地震の被害と、そこに住む人たちの強さ、そしてその時の政権とマスコミへの怒りだ。
それは今に続く原発事故対応も、もちろん含む。
阪神・淡路大震災の時も似た感情を覚えたが、東日本とは比較しようがない。
この記事は、こうした国内の事象ではなく、海外で起こった事柄について述べてみる。

第一に挙げられるのは、ベルリンの壁が落ちたことだ。
これは、私の未来年表にはなかった。
自分が大きな歴史を目にしている感動というより、怖さに近い驚きがあった。
しばらくして起こったソ連崩壊も驚きではあった。
が、こちらはドイツとは違い、バルト3国の動き、ベルリンの壁、アメリカとソ連次期幹部の、日本にさえ伝わってきた妙な結びつきから、ある程度は予想できた。
だから、驚き自体はベルリンの壁ほどではないが、歴史の中で占める比重は、ベルリンの壁より大きいに違いない。

そして今、また大きな波のうねりが見え出した。

このうねりは、個人的にはあって当たり前のものだろうと思っている。

むしろ遅すぎたのかも知れない。



最近になって、少し歴史を学び始めた。

自分にとっての歴史の常識が、みるみる崩れていく。
私はお隣のファンタジー歴史を笑っていたが、自分自身、あるいは教科書にある歴史感がいかに偏りあるものだったかを知り始めている。
けしてお隣のファンタジー歴史を笑えないな、と思った。

私の年代でさえ、いくぶん偏りある教科書で教育されていた。

今の若い子たちは、とんでもなく偏った教科書の記述を真実として覚えるのだろう。

これは戦争以上に怖いものだが、そう感じさせないコントロールをしている。
なかなか上手いやり方だ。

しかし、最近になって、やっと両面から見る報道も増えてきた。

残念なことは、ある年齢になると、自分の歴史感をそう容易には変えられないことだ。

その点は、いまだに小学生の見方しかできない自分に、またそういう見方を教えてくれた先輩方や友人、環境、運に感謝している。

でも、あとちいと人間らしい生活はしたいなあ。

と、いささか贅沢な愚痴。