
私は流されやすい派
先の記事の追記と考えてよいかな。
子どもの頃からある教育を受け、またそれに疑問をはさむことなく育ち、現在働いているマスコミの方々の話ではない。
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流されやすい?
・流されやすい
・流されにくい
ある程度、両面からの報道を見て、現在その仕事に携わっている方々についての、私の推論、あるいは妄想と言われてもよい類いの話だ。
先に挙げたウイグルの話を例にとれば、中国の報道に奇妙なものを感じているはずだ。
それは、世界一警備が厳しいと言っても過言ではない天安門での事件の報道、それができた不思議さを考えれば、ある程度中国を知っている方ならピンとくる。
日本のような、夢の国にいてはわからないだろうが。
先に挙げた、両面から見ることができる、また生きる為には嘘も殺人も仕方ないと割りきりのできないマスコミ関係者の一部は、自分との闘いに深い疲労を感じているだろう。
また、自責の念にもかられているだろう。
もし今、中国で知り得たことをマスコミとして流したなら、その個人、その企業は中国にいられなくなる。
いや、単にいられなくなるだけならまだいい。
もっと悲惨なこともあり得る。
だから、日本のマスコミは中国の闇には口を閉ざす。
若い人たち、あるいは一方向で凝り固まってしまった老人には、こうした私の見方は“間違い”であろう。
上に述べたような方々の心痛は、私などには想像さえつかない。
その中で生きられる力に感嘆する。
と同時に、哀れでもある。
こんなことを書いても、まだ息をしていられる日本に感謝しつつ。
でも、ハトポッポさんのアホ通り越した発言は、なんとかして欲しい。
空き缶さんは、頭も空き缶そうだから、お手紙議員同様だだっ子園児と笑っていればよい。
しかし、ハトポッポさんは金があり、それなりの信者もいるから厄介だ。
まあ、もっと厄介なところもあるが。
そう思った。