【南京事件?】検証6 南京金陵大学 ベイツ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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南京大虐殺の証拠とされている手紙や電信記録などの中で、私が「これが南京大虐殺?」と思われる部分(1937年12月中旬~1938年初)を抜粋しています。




南京金陵大学委員会委員長 M.ベイツ
→南京日本大使館


1937年12月16日
(日本軍兵士による、暴行、強姦、強奪の計3つの具体例を挙げた後、以下の言葉が続く)

中国軍の無秩序と敗北の後、このようなことは日本軍への期待と信頼を失わせるものだ。
不幸にならぬうちに対応を願う。



12月22日

(暴行など10の具体例を挙げたのち)

いくつかの地域では状況は若干改善されたが、まだ不十分。
憲兵を派遣し、不道徳な兵士の取り締まりを願う。


12月30日

状況は著しく改善された。
しかし、まだ若干の不道徳な兵士がいるため、引き続き憲兵などにより最良の対策を実施してほしい。

貴方の秩序確立、ならびに民衆への公平な扱いと友好的姿勢に感謝しつつ。