いわゆる南京大虐殺のあった証拠とされる兵士の陣中日記の中で、その証拠に挙げられている書物に記載されているもののうち、事件に相当する1937年12月中旬から1938年1月あたりの記述で、私には南京に住む一般市民全員の人口に相当する大虐殺にあったとは、とうてい考えられない部分を抜き出しています。
私は、南京入城は、多くの自由市民に歓喜と万歳をもって迎え入れられたと聞いています。
現代口語訳(しま爺)
★堀越文男 陣中日記
12月30日
夜食は支那の焼きそばその他に舌鼓を打った。
支那人の歓迎料理である。
1938年1月25日
クーニャン(中国人の娘さん)に毛皮の帽子をもらった。
★遠藤重太郎 陣中日記
12月29日
最早戦争はないのだ。
砲撃の音は全く聞こえない。
もうすぐ停戦になるだろうなと思っている。
★宮本省吾 陣中日記
12月22日
午前11時頃、工兵隊の他の部隊の宿営がないところで、素晴らしい歓迎にあった。
物資も豊富だ。
又、お風呂のサービスもあれば、床屋(理髪店)も開いている。
しばらくぶりで風呂に入り、散髪もした。
4時頃急に、工兵隊から中隊に戻れとの命令が下った。
実に名残惜しいが、行軍についた。
※本多勝一氏あたりは、南京大虐殺事実派のリーダー的存在だ。
その方の編集した日記類に、このようなものがあるということは、
“私の後を追うものよ、しっかり読め”
というヒントなのかな?
★この記事は2013年11月の記事の再掲です。