【朝鮮半島の歴史】7 新羅 ②統一 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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朝鮮三国のうち、高句麗、百済は西暦581年には、中国の新たな覇者の臭いをかぎ隋に朝貢をしていました。
ただ、高句麗、百済は安全をとってか、南朝陳とも親交を結び二重宗主を持つに近い中で生き延びていました。
隋が陳を下すと、百済、高句麗はそれぞれ、同年、翌年に改めて朝貢します。
朝鮮三国で最も遅く生まれた新羅は、隋の中国統一4年目にして初めて朝貢し、その冊封を受けたことと、かなり違います。
ところが、西暦618年に中国に唐が生まれると、新羅、高句麗、百済はすぐに朝貢し、やはり冊封を受けるといった、小国の苦しみというか狡猾というか、強いものに従うことでなんとか国の維持を計ります。

この後は、国内での反乱などもあり、結局百済、高句麗は滅び、新羅が実質的には初めて朝鮮半島を統一します。

ただし、高句麗の大半(満州地方)は唐のものとなり、新羅の支配はまさに半島部分だけとなりました。



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なお、地図上にある渤海(ぼっかい)というのは、698年に、唐から独立した高句麗遺民がつくった国で、926年まであった国です。




このシリーズは、明日の新羅滅亡で、一旦お開きにします。