
タイ

日本(大嘗祭・悠紀殿)

解説 悠紀殿
天皇が即位して初めて行われる新嘗祭(穀物豊穣を感謝する)を、大嘗祭という。
この時、その年に採れた米を、悠紀殿ならびに主基殿という、古くから伝わる倉に奉納する。
参考
須佐神社
古い神社は、高床式倉庫に似ている。

なお、かなりマニアックになるが千木の形なども、なかなか面白い。
イザナギ、イザナミ系は、本来アマ系種族には全く関係ない、河南か東南アジア系の農耕民族だったろう。
また、海幸、山幸の話は、壱岐あたりを中心に広がったアマ系だが、いわゆる天族アマ系かどうかは、まだ推測がつかない。
山幸系とアマ系が結びつき、出雲、信州安曇野、三河海部、房州夷隅あたりと何らかの繋がりがあるだろう。
しかし、旧約で過越、幕屋、聖櫃の細かい記載を読んだ時には、本当にびっくりした。
いささか学術的な話になるが、ATLウィルスの割合などから、縄文人は、中国あるいは朝鮮半島に住んでいた人たちとは、たいへん違うことが知られている。
マレーシアやインドネシアなどの人たちに近い。
さらに、予想どおりアフリカ東北あたりに住む人たちにも近い。
骨格的にも、縄文人はアイヌや琉球人に近く、これは弥生人に日本中央から追い出されたと考えれば合点がいく。
アイヌや琉球人はオーストラロイドにも近く、東アフリカで生まれた人類の流れが、なんとなく分かってくる。
古事記にも匂わせる表現があるが、弥生人は満州あたりからやってきたのかもしれない。
バイカル付近には、今の日本人の遺伝子に似た種族がいるようだ。
ここの人たちも、もともとは東アフリカから流れ移ってきたのだろうが、いわゆるシルクロードとは違った北の草原に沿ってやってきたのだろう。
日本の教育は、世界地図帳を見ても分かるように、中国、韓国の後に日本付近のページがあったりする。
こうした見えない教育、シルクロード偏重主義は、教えられる者の中に無意識の中に食い込んでいく。
このあたりが教育の怖さだろう。
いわゆる、通称・魏志倭人伝偏重教育もまた、そのひとつである。