さらに進むと、墨絵などを描く文化人にも、その動きは広がりを見せていきます。



自己批判をしない者は、自殺と報道される死を遂げることになります。
また、なにが反プロレタリア的なのか、さっぱりわからない絵まで。



死人の墓を暴く。
これははるか昔からあった、あちらでは最大級の侮辱です。
こうした中、学生たちは農村での作業従事を義務付けられます。
そこで仕事をこなしただけではなく、毛思想に合致した者しか学校には通えません。
ここでも、多くの若者が命を失っていますが、その数もまた不明です。
これを真似たポル・ポトのカンボジアでは、国民5人に1人、あるいは3人に1人がなくなったと言われています。
このあたりの状況は、NHKスペシャルでも放送され、YouTubeでも見ることができます。
ポル・ポト時代は、字を書けることはブルジョアだとして、バレるとその場で銃殺のようなこともあったようです。
これに関しては、命懸けで書いた日記も残っています。
この学生農業従事生活の実態は、多少私も経験者から直接話を聞いたことがあります。
あらましは、先に挙げたNHK番組のYouTubeに似た様子と考えてよいでしょう。

なお、こうした政策と実績のズレを表す記事がありました。
これは文革後の1977年の記事で、1975の実際の工場生産は、計画の2割にも満たなかったというものです。
たぶん文革の時は、そんな数字を出したら自殺申込みをするようなものですから、おそらく120%達成!とかやっていたのでしょう。
この数字自体が大本営発表ですので、本当の数字は分かりませんが、とにかくひどく低かったのは分かります。

なお、これは文革時の写真か不明ですが、勇ましいというか、幼いというか。

もっとも、クメール・ルージュの兵士は、もっと幼かったかもしれませんがね。
医者はブルジョアとして粛清され、何も知らぬ小学生や中学生が正式な医者だったようですし。
ポル・ポトから逃げて来た人にも何度か会っていますが、多くを語りませんでした。