再々掲【目で見る歴史】韓国その2 朝鮮人慰安婦捕虜尋問記録(アメリカ軍による) | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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昨日の朝日新聞さんの記事によれば、慰安婦の生活はよくわかっていないとのこと。

では、私の知っているものを再掲します。

2014-0806再掲。


昨年の20131009記事→再掲20131016記事を、再度アップします。


★★★
以下の記事は10月9日の記事ですが、河野談話についてそのデタラメさを指摘するものが、一部マスコミから発表されました。
その参考までに再度掲載します。


……………………………

下記は、東南アジアでアメリカ軍捕虜となった、朝鮮人慰安婦への尋問報告書だ。当時日本の敵国であったアメリカ軍の公式文書である。
★★画像の後に説明あり。

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概要は、以下に箇条書きにします。


日本人業者が朝鮮半島で、東南アジア軍慰安業務を募集

高収入、家族救済、軽労働などの文句に、多数の女子が応募し、前収入2~300円を受領

前借金に応じ、半年~1年の仕事に従事

その数、約800名

ビルマ着後、8~22名のグループに分割

平均年齢25才

無学、わがまま、子どもっぽい者が多い

自分の仕事は嫌いで、家族については話したがらず

我々が面倒を見ていたためか、アメリカ兵は日本兵より情があるようだと言う

中国兵、インド兵を恐れる

1人1部屋を与えられていた

食事は経営者が用意

お金は十分にあり、食事や生活費を切り詰める必要はなかった

兵士からは贈り物などをもらっていた

裕福なため、上記兵士からの贈り物以外に、衣服、靴、タバコ、化粧品を買うことができた

将校たちとは、スポーツや演芸会、夕食会、ピクニックなどを楽しんだ

個人用蓄音機を持っていて、町への買い物にもでられた


業務による料金は、階級別に設定され、将校は別途料金を払えば宿泊もできた


陸軍は門限が厳しいため、女性に会えずに帰る場合が多かったため、陸軍は曜日別、時間別割り当てを作った

慰安婦には、兵士を拒否する権利があった

慰安所経営者は、売上の50~60%を受け取る

また食事代などを高くし、困らせた

借金負債が終わった慰安婦は、帰国してよい命令があり、何人かは帰国した

慰安婦の健康状態は良好
避妊具は十分与えられていたし、兵士が持参することもあった

週に1度は軍医が訪れ、罹病者は治療、または入院させられた

尋問中、名前が出た兵士は2名のみ

丸山大佐は、厳しく利己的、部下への思いやりなく嫌悪対象

水上少将は、親切、部下に最大限に寛大で好印象

大半の兵士は、満員時に慰安所に並び、皆に見られるのを恥ずかしがっていた
また、結婚を申込むケースが多々あり、実際に結婚した者もいた


一番質が悪いのは泥酔客だが、どんなに泥酔しても軍事機密などは話さなかった

慰安婦がその話題に触れると、女性らしくない内容と叱られた

連合軍の爆撃で、捕らえられる前は壕で過ごしたが、1、2名の慰安婦はそこで仕事をしていた

爆撃により、何人かの慰安婦が犠牲になった


(以下、捕虜になる経緯は割愛)



さて、これが性奴隷の生活なのでしょうや。


いわゆる従軍慰安婦の証言内容は、日本軍には全く関係がないある事柄に酷似しています。

が、これは推測の域を出ないので、あえて文字にはしません。

しかし、これに関しては、あちらの歴史をご存知の方なら、あれと99%同じだなということを考えていると思われます。

これらは、マスコミは知らぬふりですし、日本の教科書には載っていません。



いわゆる慰安婦が、二等兵の数十倍の高級取りだったこともまた。


なぜ、、日本へ戻る時にした一般の婦人や少女たちへの、大陸や半島における日本人への強姦などには触れないのか?


一部マスコミが、さらに淀んできた。