【話題の歌】ママ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

あなたは、お母さんが何歳の頃に生まれた?ブログネタ:あなたは、お母さんが何歳の頃に生まれた? 参加中



この歌も歌手も、有線放送取り止めという報道があるまで知らなかった。

早速、その過激と報道されている歌詞をみる。


非常に深いところを突く歌詞だ。
今の日本では、これを“過激”と取るか、取ることにしたかだろう。


先の記事同様、何らかの自主規制を働かせたことになるのだろう。


しかし、矛盾が多い。

歌詞はいけないが、現実には盲目を決め込むいやらしさが頭をよぎった。

ただ、ひねた考えをすればこれもある作戦だが、そこまで疑ってはいけないだろう。





ところで、日本は“草木ものいふ国”と言われた。
また、“以心伝心”という言葉もある。

古代には名前を名乗ることは、婚約を意味する場合もあり、また命懸けでさえあった。
この風習はマヤにも見られたが、いずれにしても言葉に力を与え、感じ、それにより自分も縛られることを意味するだろう。

つまり、日本人は今のフランスほどではないにしろ、言葉を大切に扱ってきたと同様、柿本人麿や在原業平、あるいは川柳、だじゃれ文化をみれば一目瞭然だが、言葉を遊びの道具にも使ってきている。
この言葉遊びの精神は、おそらく本来のイスラエル人、つまり世間で言われるところの世界経済を牛耳っているとか、ノーベル賞の半分を受賞しているとか、あるいはマルクスなど理論派とかではないイスラエル人たちにも、広く通ずるものだろう。

ただし、最近、とくにゆとり教育とかが盛んに言われはじめ、日本人白痴化を推進する動きが活発化したあたりから、病的な言葉アレルギーが出てきた。

戦後すぐにも、【米国主導】で作られた反米反日組織などにより、多少のことば狩りはあったろう。
私は大学生になるまで、それらに無頓着な田舎に生まれたから、ことば狩り自体知らなかったが。
というのは、それらは田舎では当たり前に使っていた言葉だし、そこに差別的な意味合いなど全くなかったからだ。

実は、つい最近も現在住んでいるあたりで、老人がごく自然にそうした言葉を使っているのを耳にした。

と、同時に、私は自分に愕然とした。

かつては、なんら変てつもないその言葉が、私の中で耳障りな音になっていたことに気付いたからだ。


身をもって、教育の怖さを知った。

私自身が、言葉狩り推進者の耳になっていたからだ。

この体験を基に、お隣の異常な反日感情を考えると、多少理解が進む。

事実がどうの、理論がどうのではない。

生まれた時から嫌悪すべき存在とたたきこまれると、その言葉を聞くだけで虫酸が走るようになるだろう。

お隣の教科書・歴史の内部構成比には驚かされる。
古代から屈辱と寝返りの繰り返しで、寄らば大樹の陰だったから、過去をファンタジーで飾り、事実を教えない政治教育もわからないではない。
誇れる史実がほとんど無いからだ。
だから、歴史の6割以上が戦後と反日教育教科書になる。

気持ちは分かる。

が、やはり、事実を直視する勇気があればなあ、と甘い希望も抱いたりする。
まあ、ほとんど不可能な願いだが。


同時に、日本の義務教育でもほとんど破壊された、地理や歴史を建て直して欲しいものだ。



米国主導で作られた反米反日組織。

今の姿が米国の読み通りだったなら、まだまだ日本は赤ちゃんかも知れない。




しかしなんですな。

ボディペイント好きで、暴力を肯定し逮捕者まで出すところの応援を、公共放送あたりがする国というのも珍しい。

裏でどうなってるのかは分からないが、先進国と言われるところでは聞いたことがない。


そんなあたりを絡めて、スガさんナイスショット。