
私は見た派
昨日記事にしたが、8月15日に韓国で封切りされた坂口安吾の作品についてだ。
あるブロガーさんが原作全文を教えてくれたので、さらりとではあるが、全文読ませていただいた。
それは、蝉の生き方について書いてあるように思えた。
しかしながら、文部科学省のゆとり教育推進第一人者として知られた方が製作者である映画作品の韓国マスコミの評価は、蝉の死骸、つまり、脱け殻についての描写を評価しているやに思えた。
映画自体観ていないのに評価することはいけないことではあるが、インタビュー内容から察するに、この著名な元キャリアには、日本語読解力が不足しているか、行間を読むという習慣がないか、あるいは逆に文章に自分の書き込みをするのが習慣になっているか、はたまた、かなりのコンプレックスを抱えているかなのだろうなと感じた。
蝉の脱け殻に角を付け、黒く色塗りして生きたカブトムシに見せかけるような作法は、私は嫌いである。
ただ、場所や発表の時期によっては喝采を受けるであろうことは、容易に推定できる。
が、悪趣味だなと私は感じた。
私はその原作者のファンではないが、蝉の脱け殻を生きたカブトムシに見せかけるような行為をする輩には、怒りよりも哀れみ、空虚さを感じる。
原作者のファン、あるいは日本の日本語を理解できる文学者ならば、映画化された作品に強い怒りを感じるに違いない。
そう思った。
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