
現在中華人民共和国のあった場所と半分以上重なる(チベット、内モンゴル、西域を除けば、ほぼ同じ地域)に、清という国があった。
日清戦争でも知られる、あの‘清’である。
あるいはラストエンペラーで知られる‘清’だ。
もう、10年以上昔の話だが、シンセンの飲み屋でとある女性が私に付いた。
私は、広東語は挨拶程度しかできない。ただし、筆談でなら中国普通語ほどではないが理解ができた。
で、その女性が言うには西太后の親戚筋だという。
この手の話は、話半分どころか、話1厘くらいに聞かなくてはいけないが、なかなか面白い女性ではあった。
さて、この西太后時代は清朝末期、恐怖政治も最高潮に達する一方、食の追求も極致をきわめた。
その代表が、満漢全席だろう。
いまやその全容を知るものはないが、およそ100種の食材を使った料理を、約1週間かけて食べるというものだ。
香港あたりにはこれを簡素化して4日くらいかけて食べる『満漢全席』、ならびに金づる日本人観光客を釣るための、1日コース、いや手抜きならば1回コース『満漢全席』なるものもあるようだ。
さて、本題に入ろう。
私が今帰途準備に入っている白壁星ツアーにも、この『満漢全席』に似た『萬飯全席』がある。
それでは順を追って説明していこう。
まず出てきたものは、フカヒレ姿煮に、10月の満月の夜、陽澄湖で採れた処女上海蟹をペースト状に塗った作品。
と、考えて食べるサバの味噌煮。
血圧を考えて、蟹味噌、いや白味噌は薄味である。
次なるは贅沢にも優曇華の花を2個も浮かべた、仏陀跳垣汁。
のイメージで喉に入れる、ふ入りすまし汁。
次もすごいぞ。
世界各地から取り寄せた、珍味野菜の千切り盛り合わせ。
と思って食べる金平ゴボウ。
さらにデザートもあるぞ。
楊貴妃が好んだというライチを、天竺山羊腐乳に浮かべた珍品中の珍品。
にも似た、合成ベンズアルデヒドの匂いがちょっと気になった杏仁豆腐風食べ物。
さて、そしてこれこそが『萬飯全席』の名に恥じない料理。
白米千粒料理。
米という字は、八十八と書く。夕飯の米粒数を私立中学入試にもでる、区画分割全数推測法によれば、1椀に最低千の米粒がある事がわかった。
つまり、今宵の白米料理には、最低八万八千の手がかかっている。
まさに、『萬飯全席』の醍醐味を味わったのであった。
★醍醐味
醍醐とは、おそらくチーズのこと。
平安、鎌倉あたりまでの貴族は、チーズ好きだったのである。