【ちょうど】 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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お金と愛、ちょうど今はどっちが欲しい?ブログネタ:
あるブロガーさんが嘆いていらっしゃったが、日本語の乱れがひどくなってきた。

“見れる”“食べれる”はすでに市民権を得ているから、近い将来、日本語から下一段活用は消えてしまい、日本語文法も変わってしまうだろう。

言葉は生き物だから、これはある程度はやむを得ない。

が、元の意味が全く変わってしまい消えていくのは、古い考えの日本人としては悲しい。

とくに日本語の乱れはマスコミに激しい。
いや、マスコミは敢えて誤った日本語やらを使っているのかも知れない。さらに、最近日本のマスコミ界に絶大な影響を与えている大陸やら半島の言葉と、それを母国語とする人たちの誤った日本語の使用もあるだろう。

“見れる”“食べれる”などの表現は、日本語を母国語としない方々の立場で考えると、極めて分かりやすくなる。


少し前から使われだした“ヤバイ”がどのような経緯で生まれたかは推測の域を出ないが、古語から現代語が生まれた経緯を考えれば、ヤバイ→非常にまずい→極端だ→非常に素晴らしいという経緯で理解できる。
また、これも少し前から使われだしたが、店に来た客に向かって“お2人様でよろしかったでしょうか”などと言った過去形使用表現は、英語などの丁寧表現を、日本語に当てはめてしまった結果だろうとも推察可能だ。


さらにここ最近使われ出した“ちょうど”なる表現。
本来“ちょうど”とは、きりがよい時、数字に使われる。例えば“ちょうど1万円です”のように。
ところが、最近は“ちょうど2102円です”のような、理解に苦しむ表現が使われ始めた。


このネタにある“ちょうど今”と言う表現は、日本語にはない。英語のjust nowを日本語に直訳したものだ。


アメブロに限らず、インターネットの文章の中には、本来日本語にはないが、英語やハングル、あるいは中国普通語を直訳したような日本語が目立つようになってきている。

これは日本語の受け入れ幅の広さを物語るが、同時に消えてしまう言葉の多さも物語っている。