今回の内容は、私の独断と偏見以外の何物でもありません。最近までは歴史大嫌いの私でしたから、大きな間違いもあるかと存じます。
ご指摘を賜れば幸いです。
現在の日本では、神社という日本語があるように、神宮と社は区別されておらず、同じものになっていると感じます。
しかしながら、これらは本来は全く異なる存在でしょう。
神宮とは天族の神がおわす場所であり、社とは天族には関係ない(あるいは敵対する)祖先の霊のおわす場所でしょう。
おそらく、そんな違いがあると思います。
その由来は国外かも知れませんが、国内では南九州(高千穂付近)か九州東北部(宇佐付近)でしょう。
その後、奈良盆地あたりまで勢力を伸ばし、その東に斎(いつき)を作ったのが伊勢神宮。
一方、社は神宮の勢力拡大に伴い神宮に吸収され、神社となって今に残っています。
ただし、例外も多少あります。
それは、かつては日本の第一の神であった、大国主がらみの社です。
具体的には、出雲大社、諏訪大社などです。
(ただし、事代主は妥協したためか、事代大社というものはないと思う。また、日吉大社、三嶋大社、春日大社、住吉大社などは、出雲大社とは別系統だろう)
この両者は、旧日本の象徴として、これから神宮と呼ばれることは、しばらくはないでしょう。
同様に、宇佐神宮や熱田神宮、鹿島神宮などが大社と呼ばれることもないでしょう。
(注:約1200年前に、重要な宮も社も大社という同じ名前の格付けはされたが、宮または社そのものの名称には直結しない)
ただし、大国主が大黒様に、事代主が恵比寿様に吸収あるいは合体されたような変化は、十分考えられます(本来の姿を薄め隠すために)。
なお、出雲大社も伊勢神宮も、今年の10月がそれぞれ60年ぶり、20年ぶりの式年遷宮(建て替えに伴う座す場所の移動)の時期にあたります。
人によっては不経済と考えるでしょうね。
昔は、私もそう感じていました。
が、これは日本の文化、技術の継続という意味では金では換算できない価値があるというのが、今の私の考えです。
★文中に出てきた神やら霊やらは、物理的なものではありません。
私は、それらはないと考えています。
ましてや、神やら霊が人に何らかの作用を及ぼすことは、あり得ないと考えています。
ここでいう神とか霊とかは、あくまでも心理的なもの、あるいは風俗上での存在を意味しており、こちらは私は非常に大切だと思っています。
なぜなら、それは日本と日本人の芯になりうる存在だからです。
ですから、日本あるいは日本人を変質させるには、これらの存在を軽くする必要があります。
これを利用することは、日本と日本人を薄めたい方角の常識でしょう。
穿った考え方をすれば、最近問題となった相撲界の醜聞、柔道界の醜聞も、そうした流れの枝葉です。
さらに穿った考えを進めれば、実質的に兆単位の現金が動く遊戯業界を取り締まっていないのも、この流れのひとつかも知れません。
あるいは、全くの勘違いかも知れませんが。
なお、明治維新の裏には、伊勢神宮の力を利用した男(おそらく岩倉卿)の影も見えます。
★参考(ただし、定説ではなく私の思い込みもある)
大国主
旧日本人、つまりアイヌ政権、または早くから日本に移住していた海洋民族の王で、天族に政権委譲した最後の人物。
その怒りを鎮めるために創建したのが、おそらく木造建築では史上最高の高さを誇る、出雲大社(伝説では96メートル。奈良時代くらいまでは48メートルあった可能性がある)。
大国主の長男が事代主。
次男?は建御名方(たけみなかた)。
現在は、大国主=大黒、事代主=恵比寿 にされてしまったが、実は両者は全く関係がない。大黒や恵比寿は大陸から輸入され、大国主、事代主に混同されたものである。
一方、天族への王権委譲に反対した建御名方は、信州、つまり今の長野県に追放され、諏訪神となっている。
茨城県笠間には、日本唯一の出雲大社分社がある。
この位置は、古代の地形、緯度との関係だけでなく、須佐之男や蘇我、あるいは藤原家とのなんらかの関係(藤原家の抑制?)が強い可能性がある。
余談だが、日本人とはアフリカを出た人類の祖先が、今のイラクあたりに住みついたものの、気候変動に伴い砂漠化した地を離れ、しばらくモンゴル高原で放浪。その後、満州から日韓地橋を経てやってきたグループ。エジプトからインド、インドシナ、雲南を経て南西諸島沿いに北上してきたグループ。
また、アムールから樺太地橋、蝦夷地橋をへて本州に歩いてきたグループ。
おそらく、こうした民族がやがて島になってしまった日本列島に取り残され、独自の文化を築いていったと、今のところは考えている。
なお、日本語の背骨はポリネシア語とモンゴル語(さらに昔はシュメール語)。
これに東南アジア語やら半島語やらの肉が着き、比較的最近(およそ1500年くらい前から)、漢語の皮で覆われたと推定している。