今回は、歌というより医学書と思われる遺物について考察をする。
もしもしかめよかめさんよよ
→[もしもし]は現代も残っているモジモジのこと。つまり、大変ゆっくりとしたさま。
[かめよ]は噛みなさいという教え。
[かめさんよ]は、3回は噛みなさいという意味で、3回はたくさんという比喩である。
だからこれは、食べ物を摂取する際の注意書きである。
なお、古代生物学者によれば、太古においては現在は受刑者にのみ対して行われる、口からのエネルギー補給を一般人も強要されていたらしい。
これは、かなりつらい作業であったことは想像に難くない。
せかいのうちでおまえほど
→[せか]はせかすという派生語があるように、仕事率向上のこと。 ここでは吸収に無関係に、体内にエネルギー源たる固形食物を、分解器官に移動させること。
[いのうちで]最初の固形エネルギー源分解器官である胃の中では、の意味。
[おまえほど]これは、特に意味がない、感嘆詞。
[おーまいごっど]という表現もある。
あゆみののろいものはない
→[あゆみ]とは、消化吸収の進捗をいう。
[のろい]あわてて胃の中に入れた固形エネルギー源が、ゆっくりと移動していく様子。
[ものはない]消化に関する器官名だろうか。
アッタミラにある[へのへのもへじ]壁画では、[も]は鼻、[の]は目を意味するが、消化吸収との相関は不明。 [は]とは、我々も退化器官として幼児期に出現を確認することもある、咀嚼器官である。
[な]は不明。[い]は胃であろう。
どうしてそんなにのろいのか
→[どう]身体中央部分。
[してそん]何らの行動による反応が見られないという意味。ここでは、あまりに速くエネルギー吸収を行おうとしたために、かえってオーバーヒートし、フリーズした状態を意味するのだろう。
[なにのろい]何らかの対象に対するイレギュラー報告、またはクレームである。[のろい]とは原始宗教における最も重要な要素であり、エネルギー源吸収作業にも、これら宗教が関わっていたのであろう。
[の]は作業効率で[のう]とも言った。[か]は低いこと。
つまり、あわててエネルギー源吸収を図ったあげく、結局消化吸収器官がフリーズしてしまうような作業は低能であるという、固形エネルギー源吸収方法の戒めである。
これらの遺物は、ガッコ型墳のうち、ヨッチエンと呼ばれる、比較的小型の古墳から発掘されるのが一般的である。
おそらく幼児期にエネルギー源吸収方法を、その飼育係たる女性(注:原始時代においては、飼育ミュータントがいなかったため、胎児生産者である女性が飼育係となるケースが多かった)に、しっかり教えこむ医学ならびに心理学書であろう。