古い街並みが残る栃木を後にして北上すると、壬生という町に至る。
2、3日前に坊主になって話題の乙女組の、中央の座にいる乙女の家はこのあたりである。
また、阪神大震災の折り、国より早く救助に動いたと世界的な雑誌で紹介された、先日亡くなられたあちら系親分の生家もこのあたりだ。
さらに釣り天井で知られる宇都宮に向かって北上すれば、左側に大きな石垣で囲まれた屋敷が見えてくる。その石垣をよく見ると、所々に10円玉くらいの穴が開いていたりする。
かつて新撰組が逗留し、官軍の的にされたからである。
この屋敷を過ぎると、急に人家が減り、田畑の広がる昔ながらの関東平野だ。
そんな中に、小高い丘があって、地元では『いわさぐさまねさぐさま』と呼ぶ祠が見えてくる。
おそらく奈良以前の地方豪族の墓、前方後円墳だが、今は形が崩れ、単なる丘にしか見えない。
この地方は日本で最も災害の少ない地域と言ってよい。
そのため、逆に民芸品などは育たなかった。
唯一の産物がかんぴょうである。
かんぴょうは、ユウガオという植物の実から作る。
ユウガオにはスイカより大きな実がなる。
この実を薄く剥いて長い紐状にし、天日で乾かせばかんぴょうの出来上がりだ。
が、かんぴょうの使途はたかが知れている。
寿司のかんぴょう巻きが代表だろう。
世間では2・8と言うものがある。
これは2月、8月を指し、ものの動きが鈍る月を意味する。
このジンクスを破ったのが、バレンタインチョコレートという、日本ならではの祭りだ。
このキリスト教の祭日を日本流に改造した人は、日本経済のノーベル賞ものである。
バレンタインチョコレートほどではないが、最近、恵方巻きというものが節分の目玉になりつつある。
これもなかなか考えた。
寿司の需要の少なくなるこの時期、うまいものを考えついたものだ。
恵方巻きは、この磐裂根裂神社が発祥の地という説もある。
かんぴょうを考えれば、さもありなん。