恵方巻き縁起 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

しま爺の平成夜話+野草生活日記

世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
★写真をクリックすると、解像度アップした画像になります。

古い街並みが残る栃木を後にして北上すると、壬生という町に至る。

2、3日前に坊主になって話題の乙女組の、中央の座にいる乙女の家はこのあたりである。
また、阪神大震災の折り、国より早く救助に動いたと世界的な雑誌で紹介された、先日亡くなられたあちら系親分の生家もこのあたりだ。

さらに釣り天井で知られる宇都宮に向かって北上すれば、左側に大きな石垣で囲まれた屋敷が見えてくる。その石垣をよく見ると、所々に10円玉くらいの穴が開いていたりする。

かつて新撰組が逗留し、官軍の的にされたからである。



この屋敷を過ぎると、急に人家が減り、田畑の広がる昔ながらの関東平野だ。

そんな中に、小高い丘があって、地元では『いわさぐさまねさぐさま』と呼ぶ祠が見えてくる。


おそらく奈良以前の地方豪族の墓、前方後円墳だが、今は形が崩れ、単なる丘にしか見えない。



この地方は日本で最も災害の少ない地域と言ってよい。
そのため、逆に民芸品などは育たなかった。
唯一の産物がかんぴょうである。

かんぴょうは、ユウガオという植物の実から作る。

ユウガオにはスイカより大きな実がなる。

この実を薄く剥いて長い紐状にし、天日で乾かせばかんぴょうの出来上がりだ。


が、かんぴょうの使途はたかが知れている。

寿司のかんぴょう巻きが代表だろう。


世間では2・8と言うものがある。

これは2月、8月を指し、ものの動きが鈍る月を意味する。



このジンクスを破ったのが、バレンタインチョコレートという、日本ならではの祭りだ。

このキリスト教の祭日を日本流に改造した人は、日本経済のノーベル賞ものである。


バレンタインチョコレートほどではないが、最近、恵方巻きというものが節分の目玉になりつつある。


これもなかなか考えた。
寿司の需要の少なくなるこの時期、うまいものを考えついたものだ。



恵方巻きは、この磐裂根裂神社が発祥の地という説もある。


かんぴょうを考えれば、さもありなん。