★占いシリーズ 6 “新興宗教・擬似科学との類似点” | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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さて、今世紀に入ると、20世紀末までに盛んだった古典的占いは衰退し、過去の占いとは全く性質の異なった占いが生まれてくる。


が、その話に入る前に、古典的占いに似たエセ宗教や擬似科学について考えてみたい。


一部占い師は、霊能者を自称する場合もある。

あるいは、過去のだれそれの生まれかわりなどと言ったりもする。


これらに特徴的なことは、霊感があると言いながら言いっぱなしで、その結果を検証しないか、仮に検証しても蟻がしゃっくりをしたことと、地震が起きたことを繋げる類のものが多かったりする。また、だいたいが著名人の生まれかわりである。

例えば、ナザレのイエスとかシャカの類だ。
ところが、アラム語やサンスクリット語は話せないのに、えらく現代日本語がうまかったりする。


これらは、永久機関やら水の電気分解を利用した核融合などのような、人類には不可能なものを語ったりしていることと同様に、大きな矛盾を含んでいる。


こうした3流占い師、霊能者、あるいはエセ宗教家、または擬似科学者には、ある特徴がある。


そのひとつが言葉だ。
比較的よく使われる言葉を、違った意味で使うことが多い。例えばそれは進化だったり次元だったりする。
文学的意味として使用するなら分かるが、あたかも科学的な意味があるかの如くに、これらの言葉を使っている場合がある。




人類は次なる次元に進化する。


こう言った、科学的には意味不明の文などだ。

文学的文章ならよいが、自説の説明にこんな言葉を使うとしたら、いかに科学を知らないかを自慢していることになるだろう。




さらに擬似科学者や霊能者を自称する方々は、新しい言葉作りに注力する。

一見科学的に思える言葉を作り、それに意味を加えることなく歴然たる事象としてしまうことが多い。


だから、その新しい言葉の定義を訊かれても答えられない。あるいは、借り物言葉を変化させたものなので、とんちんかんな説明だったりする。


が、こうした方々は自分の作った言葉に溺れ、自分自身を催眠術にかけてしまっているだろう。



つまり、発案者にとってそうした言葉は“真理”となってしまう。


だから、どれほどつぎはぎだらけ、突っ込み所満載のものであろうが、当人にとっては最高の真理・事実、あるいは正義となってしまうだろう。





大多数の方は当然だと思うだろうが、人間の世界に“絶対”だの“真理”だの“正義”はあり得ない。


これが正しく、あれは正しくないという考えは、あまりに幼稚だ。


アメリカの正義とイスラムの正義は違うだろうし、正しいご飯の食べ方というものはあるまい。もちろん某流における正しいご飯の食べ方というのはあるだろうが。





なお断っておくが、私は科学を信じてはいるが、科学が万能などとは全く思っていない。

ただ、科学が一番わかりやすいから、科学第一と考えているだけだ。



もし、お化けや幽霊に出会えたなら、私は嬉し涙を流すだろう。


また、津軽弁で薩摩や土佐の御先祖様の言葉を伝えるいたこは、民俗文化という意味で非常に大切な存在だと思っている。