ハンムラビ法典はバビロニアのハンムラビが作ったとされる、今に残る法律としては歴史上2、3番目に古いものだが、その全文がほぼ完全な形で残っているものとしては最古かも知れない。
さて、そのハンムラビ法典は紀元前1792年にできたとされている。
また、その文字は楔形文字としてよく知られている。
この楔形文字はバビロン人が作ったものではない。
しかし、日本の義務教育ではメソポタミア文明の特徴として、楔形文字やハンムラビ法典が挙げられ、これは同じ民族が作ったような誤解を生んでいる。
実は楔形文字を作ったのは、バビロン人とは全く関係のないシュメール人たちだ。 その言語は日本語に非常によく似た作りをしている。
シュメール人は世界初の都市国家を築いたが、いつの間にか歴史から忽然と姿を消す。
この話をすると長くなりそうだ。
ハンムラビ法典に戻ろう。
バビロン人はシュメール人が作った楔形文字を改良し、自分たちの言語に合わせた。
これが義務教育で教えられる楔形文字となる。
ハンムラビ法典は280余りの決まりからなるようだが、日本で一番知られているのは“目には目を”のくだりだろう。
この後に日本教育風に訳せば“骨には骨を”のような文がくる。
さらにその後に、下の写本(間違ってたらごめん)の文面が続く。
“もし、ムシュケンの目を潰したなら、または骨を折ったなら、1マナを支払うべし”
ムシュケンとは平民のこと。また、マナとは銀約500グラムだ。
つまり、懲役……、または銀500グラムの罰金刑に処すということだろう。
銀の価値は現在だと小売レベルで、グラム50~100円。つまり、罰金はわずか数万円になるが、これは現在の銀の価値であり、当時の価値観とは異なっているだろう。
イスラム教に関しては、日本教育の諸々の事情から、イスラム文化を恐怖の対象としている(と思う)。
が、実はイスラム教は一部キリスト教よりは、宗教には寛容だ。
ナザレのイエスはキリストとはしないが、偉大なる聖人(預言者)としてみているし、ご存知のようにフセイン政権の外務大臣はキリスト教信者だった。
また、文化・教育にも広さが見られる。
しかし、アメリカ合衆国に代表される西欧文化圏(日本を含む)では、イスラム教は悪でなくてはならないようだ。
この“目には目を”を復讐の掟とする教え方もまた、そのひとつだろう。

ハンムラビ法典198条
(日本語とほとんど同じ作りだ)
実は漢字そっくりの文字もあるが、これはもともと象形文字がベースとなったから、ある意味当然だ。
言語的には中国普通語とは全く違い、日本語や朝鮮語に非常に近い。
たぶん、単語さえ覚えれば、文法はほとんど知らなくても、だいたいの意味はわかる。