胡蝶蘭 R18指定 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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ホワンと私は後部座席に座った。

3億Bもやられたというのに、その顔には笑みさえ浮かべている。
ただそれは、乾期のグァバの葉のような笑みではあったが。

「オヤジのところへ戻って、やり直しますよ」

「そう。じゃあ、もうここには来ないの?」

「ええ、懲りました」

ホワンのようなプロでさえ引き上げざるを得ない事情があったのだろう。

日本人のようなお人好しにはとても太刀打ちできまい。ましてや個人では、それこそ尻の穴の毛までむしり取られてしまう。

ホワンのオヤジはカオルンあたりで手広く商売をしているようだ。家族の多くはカナダに移住を済ませたという。たぶんオヤジは、かわいい息子に旅をさせるつもりで、あのチャンロンタンに工場を作ったのだろう。

3億Bといったなら、私の一生分の働きの数倍だ。
彼のオヤジは、日本なら金持ちの類。かの国でも小金持ちの端っこあたりにはいる方なのだろうと思った。



ロイスがシンロン通りを右に曲がる。
えっ、パララポンか?あそこは苦手だなあと思った。
が、これは杞憂に終わる。
駅前を通り越し、いささか寂れた通りに出た。
門が開いて、庭の奧の方に提灯のくすんだ光が見える。




「普通の遊びはもう飽きたでしょう。今夜は私からのプレゼントです。ちょっと変わってますけどね」


ホワンは右眉を上げ、左目を軽くつぶりながらそう言った。


欧州のホテルのような、薄暗いロビーだった。

「ここのルールを説明します。とは言っても簡単なものです。あなたはそれに手を触れてはいけません。いいですか、手を触れてはいけませんよ」


「あの女性に付いて行ってください。部屋を案内されます。あなたはそこで寝るもよし。一夜を寝ずに過ごすもよし。ただし、ルールは守ってください。それではこれで。また、世界のどこかでお会いしましょう」

ホワンはそう言うと、さらりと背中を向けた。




ひどく痩せているにも拘らず、胸がアンバランスに突き出た不惑がらみの女性について薄暗い廊下を奧に進む。

「こちらです」といった目配せで、ドアの前で止まった。

女は切れ目ある衣装から、暗がりでも青白さがわかる左太股を覗かせながら去って行った。



久々に自分の鼓動が聞こえた。

そっとドアノブに手をかける。


すずやかな香りが鼻腔をついた。
それは廊下に蔓延する白檀の鋭角的な匂いではなく、すこし甘酸っぱさの残る、少しひんやりとした感じのものであった。


20畳くらいだろうか。 殺風景な造りだ。
入り口には胡蝶蘭の鉢があり、奧の壁には唐代あたりの美人画が掛かっているだけだ。

その美人画のある壁の下に、何かがある。


蓙のような敷物の上に、薄い布を掛布団にして、それは横たわっていた。

寝息は立ててはいない。が、私の耳にはしっかりとその音が伝わってくる。


静寂の中で、自分の鼓動ばかりが鳴り響く。






これじゃあ、川端康成の世界だなと思った。





ホワンのやつ、面白いプレゼントをしてくれたものだ。
さすがはよく分かっている。
この地に長らく住んでいる者に、だっこちゃん人形は食傷気味。
観光客がはしゃぐパララポンなどより、膝に手を置いただけでピシャリされるタニヤンにある店などの方が、長年ここに住む者には刺激があって楽しいのだ。

だいたい、だっこちゃん人形に溺れる年ではないし、肝心なものが不如意ということさえある。

そんな意味では、素晴らしいプレゼントだった。

本来なら私から何某かの餞別をすべきところだが、そんなものにこだわる相手ではないし、餞別にすべきものを見つけられなかった。
下らぬ餞別は、彼にとっては邪魔でさえある。 かと言って、こちらには彼らが好きな、重い沢庵を買える財力もない。

だから、笑顔と握手がせめてもの餞別だった。



掛布団は薄い絹のようであった。
薄明かりの中でも、まだ薄桃色の窪み気味の蕾に、喉の渇きを覚える。
細く長い髪が、肩からその蕾を頂く緩やかな丘にまとわりついている。

鼻は少し低めだが、北の地の住民のように白い。
その白さにひどく感動している自分に気づいた。

この地で美人の条件の最初に来るのが白さである。
それを初めて聞いたときには、何を言ってるのかいなと思った。

白人コンプレックスではないのか、とさえ感じた。

が、今やっとその意味が分かった気がした。

その白さときめこまやかさが脳の中へ染み込んでいく。

蕾の丘は、静かに波打っている。


もう一度上に視線を寄せる。

睫毛が長い。
耳はちょっと大きめだが、薄い気がした。

おちょぼ口というほどではないが、少し突き出た感じがする。

と、それはウーンというような声を出し、口が少し開いた。

いや、私はどこにも触れてはいない。それがここのルールだから。

かわいいピンクの舌が覗いた。


小説では知っていた、唾を飲むという言葉が、やっと理解できた。



待てよ、と思った。


手を触れてはいけない。

そう、それがルールだった。



そう、手を触れてはいけない。



うん。手を触れなければ良い。





私は大発見に、眠れぬ一夜を過ごした。




窪んでいた蕾が勢いよく立ち、サラサラの小川のほとりには、まだかわいいネコヤナギが芽を出した。


私はそのネコヤナギを、幾度となく鑑賞、鑑味している。





私は一切手を触れていない。



ルールは守った。


ホワンの顔を潰したことにはなるまい。





おわり