
その1からずいぶん間があいてしまった。
もちろん忘れていたわけではごじゃりませぬ。
さて、その1ではうまく騙されていただけるようにお膳立てをしました。
復習してみましょうか。
1:正月に餅を食べるのは、マッツァを食べる習慣に似ている。
2:七草粥の風習は、苦菜を食べるのに似ている。
3:どんと焼きの風習は、食べものを焼き尽くす掟に似ている。
4:正月に帰省する風習は、正月前に家族がひとつ屋根の下に集う決まりに似ている。
5:正月初詣の神社や鳥居は朱色が多く、これは門や玄関を赤く染める(正しくは血を塗る)決まりに似ている。
6:山伏の姿は、神の代弁者にうりふたつである。
7:山伏は天狗であったりするが、天狗の特徴である長い鼻と、彼らの顔を現すかぎ鼻は似ているとも言える。
日本の神社では、古くは神の像を作らなかった。
このあたりも似ているところだろう。
およそ3200年ほど昔。
エジプトでは大きな変化があった。
それまで八百万の神がいたが、太陽ひとつに神を統一したのだ。
これは大失敗に終わり、その改革をした王の息子は、つい最近までエジプト王の名簿から名前を消されていた。
幸か不幸か、その結果、その王の存在はつい最近までは知られなかったから、墓を荒らされることもなく、ほぼ無傷の状態で棺桶やら副葬品が発見される。
日本ではツタンカーメンと呼ばれる王である。
アウンサンスーチーを日本ではアウンサン・スーチーとか、スーチー、ひどいものになるとスー・チーのような失礼な書き方をするのと同様、ツタン・カーメンもいささか変だ。
アウンサンスーチーは途中で切っては読んではならない。
確かにお父さんはアウンサンだが、アウンサン・スーチーと切るのは日本人的発想だろう。
ツタンカーメンもツタン・カーメンというのは変だ。
もし途中で切るなら、 トゥットゥ・アンク・アメンとかエメンがむしろ近いし、トゥットゥ・アンク・アテンの方が、本人は喜ぶだろう。
この時代か、それよりも少し後(約100年後)。
世界で最も有名かも知れない預言者が現れることになる。
予言者ではない。
預言者である。
その人のヘブライ語名は、日本語の武者に似ている音だ。
つまり、モッシャである。
新しい言語である英語のモーセ、あるいはモーゼである。
つづく。