
日本という国の名前を作ったのは、死後聖徳太子と名付けられた方だという説がある。
例の『日出処天子……』の親書作成者とされ、その逸話にキリスト教の影響が極めて強く見られる方である。
あるいは、日本では4、5番目の怨霊としての地位を持つ方でもある。
そのお方は、物部氏との戦いに勝つことを仏だか四天王だかに祈った、蘇我本家筋の仏教推進派であると学校では教え込まれるが。
親書の話に戻ろう。
相手は世界の中心にいると考えている国の親分だから、東海の島国の海老だか蟹だかが対等な立場、あるいは見下すような文面を書くなど面白かろうはずがない。
学校で習う歴史では、あちらの親分は怒って親書を突っ返したとなっている。
この日出る処から日の本、日本となったというのだ。
この説は、あまりに妥当過ぎて夢がない。
ただ、聖徳太子なる方がいたのかどうかはあやしいが。
そこで、日本という国の名前の眉唾語源を考えてみた。
いろいろ作れそうだが、一番もっともらしい説ができそうな、ヘブライ語で騙してみるか。
うまく騙されてくださいな。
日露戦争前後にできたらしい日本人起源説に、日ユ同祖論というものがあります。 この説のポイントは、日本人とはユダヤ人の子孫だ、あるいは消えたアブラハム系ユダヤ人、つまりユダヤ人の血を受け継ぐものだというものです。
ユダヤ人という言葉をどう解釈するかは難しいのですが、ここではキリスト教やイスラム教の聖人である、ナザレのイエスの祖先であり、一方ではその聖人を売ったということになっているユダと同じ部族という意味で使わせていただきます。
つまり、現在日本で多用されているユダヤ人とは、いささか意味が違っています。換言すれば、ユダヤ人の親戚、つまりアブラハムの子孫でありユダヤ人との血縁関係が深いという意味で使います。
あと少し突っ込みますれば、アシュケナージではなくスファラディという意味です。
だから、実は日本でマスコミなどが使っているユダヤ人とは、全く異なる意味合いです。
こうしたアブラハムの血族たるユダヤ人にとって、非常に大切な月は正月です。
ユダヤの正月は、日本なら春先にあたります。
ユダヤ教は昔ながらの大陰暦、つまり月の満ち欠けに基づいて月を数えていますが、最近までは日本もこの大陰暦を使っていましたし、中国と呼ばされている国から出た人たちの間では、いまだに月中心暦で1年の行事を考えたりします。
ユダヤ教での正月は、日本なら春先にあたります。 来年だと、年が明けるのは4月1日あたりになります。
西洋では新学期の始まるのはだいたいが秋ですが、日本では春が新しい学びの始まりです。
いやいや、国も日本のほとんどの会社も、大多数の学校も自治体も寄り合いも、4月が新しい年の始まりです。
ちょっと考えてみてください。これって、すごく変だと思いませんか?
今使われている暦で新年は1月。旧正月は、1月末から2月。
だから、ここから新学期なり新年度が始まるのなら分かります。
が、なぜ4月なの?
これは、日本がユダヤ教の影響を受けているからなのでしょう。
つまり、ユダヤ教の新年を年の始まりとする考えが奥深くにあるからなのです。
いや、日本人がユダヤと深く関わることはそれだけじゃあないですよ。
これは何度か記事にしていますが、日本の風俗などとユダヤ教のそれを比べてみましょうか。
①日本の正月には餅を食べる習慣がある。
→ユダヤ教の正月には、マッツァという、種なしパン(酵母を使ってはいけないので、ふわふわしないパン)を食べなければならない。
②日本の正月には、離れていた者も実家に戻る習慣がある。
→ユダヤ教では、正月には家族がひとつ屋根の下につどう。
③日本の正月には、神社に参拝する習慣があるが、その神社には鳥居があり、鳥居や神社は赤いものが多い。
→ユダヤ教では、過ぎ越し祭り(ペサハ)が最大の祭りだが、この時には家の門などを赤く塗り、この中にいなければならない。
④日本の正月には、七草粥の習慣がある。
→ユダヤ教において、正月の7日間はモッツァとともに苦い菜を食べなければならない。
⑤七草粥から7日後の夜には、正月の飾りを焼き尽くす『どんど焼き』の習慣がある。
→ユダヤ教では、モッツァと苦い菜の7日後に、正月に食べたものを全て焼き尽くさなければならない。
⑥山伏は着物姿で、額に何かを付けており、ホラ貝を持っている。また、山伏は鼻の長いとされる天狗にも比べられる。
→ユダヤ教の神の言葉を伝える者の姿は、日本の山伏と瓜二つである。
また、西洋でのユダヤ人のイメージは、長い鼻、あるいは鍵鼻である。
ふーっ。
疲れた。
その2につづく。