記憶に残る怒り | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私はもともとは、全く政治には興味のない人間だった。







野の花を愛で、山羊を部下として引き連れ、雀と会話する田舎の兄ちゃんであった。

が、近くには政治と関わると思われる方々が、比較的多かった気もする。

ど田舎のおじさんと思っていたら、全国なんたらの会長なんていう方もいたようだ。
そういえば、初めて自転車を買ってもらった小学校へ行く途中にあるお店のおっちゃんは、かつては年末赤白のど自慢のバードを務めていた人を養っていたりもしたようだ。


いまだに忘れられないのは、中学生の時にみた狂言。
万蔵、万作親子が、中学校の体育館で人間国宝の芸を披露してくれたことだ。


彼らにとっても、この経験は記憶に残るものだったろう。とにかく、人生初めての体育館での舞であったから。

いまだに政教分離できないあそこから地獄行きを通達された、藤原某の記者クラブの話は面白かった。




さて、こうしたライヴではないが、ブラウン管あるいは液晶の画面で見た姿で忘れられないことが5つ、6つある。


筆頭は、土佐の鈍牛の逝く2、3週間前の演説だ。
あれは日本を愛するものの、現在のような姿になってしまう日本を憂い、心の声を絞り出したものだったろう。

神からの酒をたらふく飲まされることを半分は職業としていた祖父は、めったに口をきかない人であり、その妻を『オイ』と言う言葉以外使わなかった人だが、珍しく鈍牛のことは偉いやつだと意見を述べたことを聞いたことがある。

これとは方向が違うが、今やマスコミでは極右だかと言われているおっちゃんの、20人のサインを集めるときの冷や汗を口から出した際の言葉も記憶に新しい。




最近では、象の耳さんの会見が光った。
20年に1度の、素晴らしい怒りが見えたからだ。

その少し前になるが、北海道の子ぐまの会見は記憶に残る。ワイン事件の1、2ヶ月前の、おそらく忘れられている会見だろうが。

あれは鳥肌が立った。
あまりに危険だと感じたからだ。





象の耳にしろ、北海道の子ぐまにしろ、哀れな末路が待っていた。


あまりに?な最期であった。



こうした違和感は、北海道の親熊の時以来だ。







違和感と言えば、私個人が大きな怒りを覚えたことが2つ。

ひとつはサラダを食べるパフォーマンス。

もうひとつは、ヘリコプターに乗るパフォーマンス。


実は、この2つとも同一人物が主人公だ。


私にはとても真似はできない。


自分のできないことをできるのだから、ある意味尊敬の対象だろう。


が、私にはまだ、深い怒りしか味わうことはできない。