それはまだ上の子がとことこ歩いていた頃だから、15年くらい前かも知れない。
私が敵陣?のA新聞に殴り込みを終えた後の頃だ。
そこでA新聞地方版で投稿連続ギネス級審査をしていた、K先生に出会った。
敵陣で認められたら自分を褒めてやろう。 そんな生意気時代の島ちゃん。
先生は私を評価してくれ、次年度には地方版とはいえ年間天賞をいただいた。
その先生の葬儀の席。
私は両手に花でワイワイガヤガヤの送り。
そのうち長男の喪主もやってくる。 喪主は本当にギネスブックにも載っている方で、いまだに日本ではその記録は破られていない。
さて、そんなワイワイガヤガヤの隣のテーブルで、黙々と静かに盃を傾ける男がいた。
そうなのだ。
昭和の昭和たる心を語り続けた、あのハーモニカが欲しかったじいさんである。
私と彼とは、おそらく支持政党も主義主張も全く違っていたろう。
が、私が尊敬するじいさんでもあった。
隣のテーブルの彼は、ラジオで聴くそのものの彼だった。
背中に師を失った悲しみを醸し出していた。
声をかけようと思ったが止めた。
私のように、つい最近ご指導を受けた新参とはなにが全く違う。
ハーモニカじいさんは、やはりハーモニカじいさんの渋みを見せてくれた。
故人の大きさを知った。
さらにハーモニカじいさんが好きになった瞬間だった。
遠くで、天才某が高い声で何かを言っていた。
が、ハーモニカじいさんは最後まで静かに盃を傾け、気付いたときには、姿がなかった。
ハーモニカじいさんは、あっちで談志だの角栄さんだのと、チャンチャンバラバラやってるだろうか。
いや、角さんには顔さえ向けずに、意地悪ばあさんや象の耳さんと打打発止だろうな。