
私は怖いと思う派
何度か告白しているように、私は極度の女性恐怖症である。
だから、女性が1000マイクロメートル以内に近づいたなら、怖さのあまり抱きついてしまうかも知れない。
だから私は、出来る限り女性には20000マイクロメートルより近づかないように自分を律している。
我ながら、実に偉い!
さて、ある見方をすれば、女性に人気のある地蔵に水子地蔵というものがある。
地蔵というといかにも仏教に関係するように思われるが、おそらく元来の仏教にはかようなものは存在しないだろう。
かつて仏教の盛んな国に住んでいたことがあるが、そのようなものを見た記憶がない。
では、海外では日本語でいう水子なるものがないかといえば、とんでもない。
人口構成がピラミッド型の国々では、むしろ水子はあたり前に近く、おそらく日本の数十倍とか数百倍、あるいは数万倍とかの率であるはずだ。
では、なぜ日本にばかり水子地蔵があるのだろうか。
ここからは私の推論になる。
水子地蔵の由来は、神道の影響が強いのではないだろうか。古事記の最初に生まれたのは水子(蛭子)だった。
いやそんな話はさておき、水子とはいかにも日本人らしい心が形になったものではないだろうか。
多くの国々では水子は当たり前だから、いちいち気にしていられないのだ。
次なる働き手、水運び、枯れ木集めをする子を作らなければ生きていけない。
そんな厳しい自然がある。
が、日本は実に豊かな自然に守られている。
バケツの水一杯のために何キロメートルも足を運ぶ必要もなければ、昔は1巻の薪を集めるのに1日を要することもなかった。
しかし、そんな豊かな日本にも、時に飢饉などのため、あえて子を流さざるをえない場合もあった。
飢饉が去り多少の余裕が出てくると、そうした流した、あるいは流れた子への思いが心に重くのしかかってくる。
この重圧を軽減させるのが、水子地蔵を発明した原因だろう。
ところで、この水子地蔵だが、私はごく最近の発明だと思っている。
確かに今昔物語にも子どもに姿を変えた地蔵が現れたりするようだが、これは水子地蔵とはニュアンスが異なる。地蔵が単に子どもの姿で現れたというにすぎない。
江戸に入って、村のお寺に、やっと子安観音だの子安地蔵だのが現れてくる。
が、私はこの時代の水子地蔵やら観音を見た記憶がない。
江戸時代でよく目にするのが、庚申像、月待ちの如意輪観音、あるいは関東に多い浅間、富士講に関与する石仏だ。
安曇野に代表される双体道祖神、東北などのおしら様など幾多の地蔵、観音、神が形として残っているにも拘らず、水子地蔵なるものがないようなことから、これは近代、ひょっとしたらごく最近の発明かも知れない。
水子地蔵があることは、恵まれた自然の証だと思っている。
ただ、最近はいろいろな使われ方をしているようだ。
じいさんのじいさんのじいさんのじいさんのじいさんのじいさん時代には、村の辻にある地蔵様には誰ともなく花をあげたりしていたが、特にそれをまつりあげたり恐怖の対象とはしなかったようだ。
21世紀初頭は、情報とバイオ、ならびに宗教がメインの産業であった時代だ。
これをキーとして、ゴンドワナ連合国が作られたのは、はるか昔のことである。
2432年猫月
★ノストラダメッスの下書きより


