かたい話になるが | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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私は一所懸命



一生懸命では意味が通じない。
が、最近の国語辞書にも一生懸命は採用されたりしているから、市民権を得たのだろう。






言葉は生き物だから、こうした流れは自然だろう。

もともと日本語は少なくとも満州語や古朝鮮語などのアルタイ語や、東南アジア、南洋のポリネシア語、さらに先住民族であるアイヌ語などの組み立て語である。

約1800年くらい前からポチポチと漢などの言葉を輸入しつつ、ポルトガル語やらオランダ語をかじり、明治以後は英米国語やらフランス語やら、とにかく世界中の言葉を寄せ集めて現在に至る。

宗教用語にはサンスクリット語も点在するし、神道や古事記ではトゥットゥ・アンク・アメン(日本語ではツタンカーメンのが一般的)時代のエジプト語だと理解しやすいものもある。


とにかく、日本語はあらゆるものを取り込む能力がある。


この言葉の魔力は、宗教にも影響を与えているに相違ない。

最近のクリスマス、ハロウィン、あるいはバレンタインデイが定着したようにだ。

十字架ぶら下げ初詣に神社とお寺に詣でるなどという、世界で優勢な一神教信者には信じられないおそろいことを嬉々としてやってしまう。


そのうちラマダンの習慣やら、キブツへのサマーキャンプなんていうのがあるかも知れない。



私はこれを否定しているわけではない。

実に日本人的だなあと、むしろ嬉しくなる。

また、そんな国に生まれ育って幸せだなあと思う。


が、こうしたなんでもござれ主義は、世界の中では極めて珍しい。


それを自覚しながら考えなければならない場合も、少なくはあるまい。



最近の政治やらマスコミやらを考えると、暗澹たる気分になることがある。
それは、いままで述べたようなどんぶりが口に入ってこなくなる予感があるからだ。




急に冷えてきた。

かのブログは削除されるべきではあるまい。

もし削除されたなら、私のイメージにある日本が、またひとつ消えたことになる。




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