が、見える人には見えてしまう。
いかにも高飛びを臭わせることを書いてみる。
が、実際に行くところは別にあるだろう。
冷静に読めば分かるトリックだが、彼を信じる者は気付きにくい。
信じたそぶりの中に疑念が湧きだしたものをあぶりだそうとする、実に姑息な手だ。
が、やはり半分の恐怖とともに見るものには、なかなかそこは理解できないかも知れない。
これはやむを得まい。
幻影が消えるだけではなく、より悲惨な公的な何かの動きを感じ、まさに生きた心地がしないのだ。
そんなときに何を与太話しているのか。
普通ならそう考えるだろう。
が、その影響下にあるものは、なかなかそこまで考える力を失っている。
哀れであり、不合理だ。
確かに2時間もあれば騒がしくない国に行ける。
が、日本には、その期間は時間が止まるという決まりもある。
